けんかしても、浮気でもめても、家に帰って来なくても──危機を乗り越え、共に生きることを選んだのはなぜなのか。赤井英和(64才)と1993年に結婚した赤井佳子さん(57才)が、結婚生活について振り返る。
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赤井は小学2年生の男の子がそのまま大きくなったような人。散歩のときは必ず道のいちばん端っこの縁石や排水溝の上を歩くし、トイレはなぜかいつもいったん服を全部脱いで全裸でする。2021年に赤井が事務所から独立した後は、私が社長兼マネジャーとしてつきっきりで仕事からプライベートまでずっと一緒。周囲からは「ラブラブですね」なんて言われるんですが、とんでもない。「もう無理だ」と思ったことは何万回もあります。
例えば以前、自宅の床に女性相手に待ち合わせ場所を伝える紙が落ちていたことがあって。それを赤井に「落ちてたよ」と伝えると、言い訳するでも狼狽するでもなく「え、FAXって紙ごと行くんちゃうの?」って大ボケ。妻として、もちろんうれしくも楽しくもないですが、赤井英和という人間が面白いかどうかという視点で考えると、残念ながら、面白いんですよね……。
いまでも何とか夫婦生活を続けていけるのは、赤井が私の怒りを察知するとすぐに謝ることと、新婚のときに赤井の実家に2年住んだことで彼のルーツに触れられたこと。
そもそも青森県から出てきて、大学卒業後に東京で音楽教室の講師をしていた私が赤井と出会ったのは、「今日、飲めへんか?」と久しぶりに会う知人に誘われて行ったホテルの部屋。赤井はあの頃、ドラマの撮影でホテル暮らしをしていたんです。
だけど行ったはいいものの、赤井は前夜飲みすぎて泥酔状態。浴衣もはだけてほぼ全裸。もちろんパンツなんかはいてない。いろいろなものが丸見えでした(笑い)。冷静に考えたらものすごくだらしなくてかっこ悪いはずなのに、なぜかそのとき「野性味があふれる、まるで真っ赤っ赤な太陽みたい!」と一目ぼれしてしまって。
それで唯一の家財だったピアノを大阪の赤井の実家に送り、押しかけるようにして赤井の両親と暮らし始めました。肝心の赤井は、仕事でほとんど東京だったし、義父母は困惑していましたが……。だけどその2年でご両親のこと、友達のこと、地元の西成のことなどを知ることができた。結婚生活を続けられているのは、あの2年があったからだと思っています。青森と大阪では文化が大きく異なるから、それを肌で感じることができたといま振り返って思います。