10月11日に迫った将棋の王座戦第4局。藤井聡太・七冠が永瀬拓矢・王座に勝利すれば、羽生善治・九段(日本将棋連盟会長)が1996年に七冠(最新のタイトル「叡王」は2017年から)を達成して以来の「全冠制覇」達成となる。
「将棋界の歴史」が変わる瞬間が目前に迫るなか、半世紀にわたってプロ棋士たちの活躍と日常を写真に収めてきたベテラン写真家・弦巻勝氏の著作『将棋カメラマン 大山康晴から藤井聡太まで「名棋士の素顔」』(小学館新書)が発刊された。キャリア50年の将棋カメラマンだけが知る「個性的な名棋士たち」の仰天秘話を貴重な写真とともに振り返る同書から、かつて多くの批判を浴びながらも将棋連盟会長として棋界改革を断行した米長邦雄・永世棋聖の知られざる横顔を紹介する。
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「頭が悪いので東大に進学」
米長さんはああ見えて、無類の勉強家だった。現役時代には、人生の極意に関する本などさまざまな著書も出版していたが、語彙は豊富で言葉遣いもユニーク。いくらか性格におかしなところがあったにせよ、女性に人気があるのはよく理解できた。
米長さんには3人の兄がいる。その兄たちは全員、東京大学に進学した。棋士になった米長さんが語った言葉は有名だ。
「兄たちは頭が悪いので東大に行った」
東大に入学するより、棋士になってタイトルを獲るほうが、確率的に難しいのは確かである。米長さんの説明はこうだ。
「長兄は高校時代の3年間、東大に合格するために、夜の7時から深夜の2時まで、毎日7時間は受験勉強をしていました。延べで約7000時間以上になります。私は中学から高校までの6年間、毎日5時間は将棋の勉強をしていました。延べで約1万時間をはるかに超えます。私が勉強した時間は、兄たちよりずっと多く、しかも内容がかなり濃かったのです」
棋士の頭脳は、難関大学の学生以上であるというイメージをもたらしたという意味で、米長さんの功績はかなり大きかったと思う。