「全冠制覇」まであと1勝に迫った藤井聡太・七冠。10月11日の王座戦第4局で永瀬拓矢・王座に勝利すれば将棋界の8タイトル独占を達成する。「全冠制覇」は羽生善治・九段(日本将棋連盟会長)が1996年に七冠(最新のタイトル「叡王」は2017年から)を達成して以来。
「将棋界の歴史」が変わる瞬間が目前に迫るなか、50年の長きにわたってプロ棋士たちの活躍と日常を写真に収めてきた写真家・弦巻勝氏の著作『将棋カメラマン 大山康晴から藤井聡太まで「名棋士の素顔」』が発刊された。同書より、藤井七冠のプロ棋士デビュー戦の相手でもあり、藤井棋士誕生までは史上最年少棋士の記録保持者だった加藤一二三・九段の秘話を紹介する。
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初の中学生棋士として知られ「神武以来の天才」と呼ばれた加藤一二三・九段。現役時代の終盤にはユニークなキャラクターが広く認知され、タレントとしても大ブレーク。藤井聡太さんのプロデビュー戦の対局相手となったことでも知られている。
棋士としての加藤さんのハイライトシーンといえば、中原誠・名人に勝って42歳で悲願の名人位を獲得した1982年の名人戦ということになるだろう。
あの頃、写真週刊誌『FOCUS』が僕に「加藤さんのプライベートな写真をお願いできないか」とリクエストしてきたことがあった。棋士が集まる新宿2丁目のバーで、僕は米長邦雄さんにその話をした。
「実は加藤さんの写真を頼まれているんだけど……」
すると米長さんは当たり前のようにこう教えてくれた。
「パウロ先生なら明日、四谷のイグナチオ教会に来るはずだよ。あそこの土手で待っていれば、いくらでも撮れるさ」
敬虔なクリスチャンとして知られる加藤さんは、「パウロ」の洗礼名を持っている。翌朝、教えられたとおり教会の向かい側の土手の上で待っていると、本当に加藤さんがやってきた。
当時の写真週刊誌は直撃取材が基本だったため、許可を得ずに撮影するのが当たり前だった。しかし、僕は隠れて撮るようなことはできなかった。
「加藤さーん!」
声をかけると、こちらに気づいて大きく手を振ってくれた。しかし、この状態でいきなり撮ることはできない。僕はその日の夜、加藤さんに電話を入れ、教会の中での撮影をお願いした。