高校から大学ではキックの練習に一層打ち込み、精度に磨きをかけたという。
「ラグビーのレベルが上がるにつれ、キックの重要性が高まります。力也君はどんなにきつくても毎日30分はキックの練習を続けていましたね。
トライ後のコンバージョンキックや自陣から脱出するためのキック、そして重要な得点源となるペナルティーキックなど、キッカーとして必要不可欠な要素をやりこんでいました。だらだらと長く練習するのではなく、短時間で集中して、やるべきことをキチッとやる人です。僕のポジション(ウイング・FB)はキック処理が重要なこともあって、いつも練習に付き合っていたのが懐かしい」(尾崎)
松田の努力は弛まない。
「大学は月曜日だけオフでしたが、力也君を中心に自主的にウエイトトレーニングをするグループができていて“お前も来いよ”と。“兄”には逆らえないものです。トレーニングが終わると、他のメンバーも交えて寮でトランプしていました。
帝京には“伏見工業出身者会”があって年に2回ぐらい宴会が開催されていたのですが、音頭を取るのは力也君。伏見は仲が良かったので、号令がかかると飛んでいきました(笑)。
力也君の周りには先輩後輩関係なく人が集まってくるんですよ。いつも輪の中心にいる印象」(尾崎)
松田の人たらしの一面はラグビーにおいてもポジティブに働く。SOはコミュニケーション能力が重要で、試合中は秒単位でコミュニケーションを取り、戦略を修正していくことが求められる。松田にとっては天職だった。尾崎は「常に周囲を見ていて、チームをコントロールしている。勝つ雰囲気を作ってくれる“バランサー”でした」と語る。
※週刊ポスト2023年10月20日号