藤井聡太・九段の偉業達成なるか──。10月11日、永瀬拓矢・王座との王座戦第4局に勝利すれば、羽生善治・九段(日本将棋連盟会長)以来の「全冠制覇」となる(羽生は1996年に当時の七冠独占で達成)。
「将棋界の歴史」が変わる瞬間が目前に迫るなか、半世紀にわたってプロ棋士たちの活躍と日常を写真に収めてきた大ベテラン写真家の著作『将棋カメラマン 大山康晴から藤井聡太まで「名棋士の素顔」』(小学館新書)が話題だ。カメラマン・弦巻勝氏の貴重な写真とともに振り返る同書から、将棋界の画期となった「羽生七冠」誕生の裏側を紹介する。
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「悪役」がいない羽生世代
1989年、羽生さんは19歳で島朗さんから竜王位を奪取、将棋界最高峰とされるタイトルを手にした。前年のNHK杯では大山康晴、加藤一二三、谷川浩司、中原誠と名人経験者に4連勝して優勝を飾っており、この頃から羽生さんの撮影依頼が急に増えた。
プライベートに密着するような写真もかなり撮らせてもらった。当時は目黒で独り暮らしを始めていたが、週末には実家に帰るといった生活で、島朗さんが主宰する研究会「島研」のメンバーにも名を連ねていた。
10代にして将棋界の大スターとなった羽生さんとは、食事をしたり酒を酌み交わしたりということは基本的にない。それでも羽生さんは取材に対して律儀な対応を貫いてくれる青年だった。
羽生さんの他にも、佐藤康光さんや森内俊之さん、郷田真隆さん、屋敷伸之さん、関西の村山聖さんといった同世代の棋士たちが次々にプロデビューを果たし、絶対的な強さを誇っていた谷川浩司さんの一強時代の勢力図は、すぐに塗り替えられそうな予感がした。
そんななかで当時の僕が感じていたのは、“将棋界に「悪役」がいなくなった”ということだ。羽生さんはもちろんのこと、同世代の棋士はおしなべて「善玉キャラ」で、先崎さんを除いてはヒール役のイメージがまったくない。羽生さんに対抗する棋士たちも、それぞれ正統派のナイスガイで、プロレスのような色分けをするのは難しかった。
個性がフラットになった分、将棋というゲームの真理を探求する研究者的思考が花盛りとなり、昭和から平成に移行した時代の変容を強く感じさせられたのもこの頃である。当時、将棋連盟の出版部が企画し、羽生さんが執筆した『羽生の頭脳』という定跡書があった。表紙の写真を担当したのは僕だったが、この本は専門書として異例のベストセラーとなった。大山康晴先生や米長邦雄さんのように、「棋士が生きざまを語る時代」は終焉を迎えていたのかもしれない。