将棋界の史上最年少記録を次々と塗り替えてきた藤井聡太・七冠。10月11日、永瀬拓矢・王座との王座戦第4局に勝利すれば「八冠保持者」となり、羽生善治・九段(日本将棋連盟会長)以来の「全冠達成」となる(羽生は1996年に当時の七冠独占で達成)。前人未踏の記録が目前に迫るなか、半世紀にわたってプロ棋士たちの活躍と日常を写真に収めてきた大ベテラン写真家・弦巻勝氏の著作『将棋カメラマン 大山康晴から藤井聡太まで「名棋士の素顔」』が話題だ。
同書では弦巻氏と羽生善治・会長による秘話満載の対談が収録されている。藤井七冠と同じく「中学生でのプロデビュー」を果たした羽生会長が体験した“将棋界の洗礼”は現在では想像もつかないものだった。【全3回の第2回】
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明治生まれの棋士と対局した数少ない現役棋士
弦巻 それにしても、羽生さんがデビューした頃と比べ、将棋界は大きく変わりました。ひとことで言えば、昔は決めごとが少なく、個性豊かな棋士たちが多かった。本音を言うと、僕のような世代はいまの将棋界にある種の息苦しさを感じてしまうんです。
羽生 昔の将棋界がおおらかだったのは本当にそのとおりで、いまだったら考えられないようなこと、あり得ないようなことがたくさんありました。
弦巻 羽生さんはプロデビューが早かっただけに、長老棋士とも接点があったでしょう。
羽生 私が初めて参加した順位戦(1986年度)では小堀清一先生(九段)との対戦がありました。小堀先生は明治生まれ(1912年=明治45年)で、私とは59歳差でした。明治生まれの棋士と対局したことがある現役棋士は、いまや少ないでしょうね。
弦巻 その一方で、羽生さんは藤井聡太さん(2002年生まれ)ともタイトル戦を戦っています。対局を通じて100年近い将棋界の歴史が繋がっているわけですね。
羽生 私の棋士番号は175番です。直近にデビューした四段の棋士番号が340番なので、私はいま、現在の将棋連盟発足後の棋士のちょうど中間くらいの位置に立っていることになりますね。
弦巻 僕が将棋を撮り始めた頃(1970年代半ば)は、将棋連盟には大山康晴先生(十五世名人)と升田幸三先生(九段)の両巨頭がいて、丸田祐三先生(九段)や、元真剣師の花村元治先生(九段)といったおっかない先生たちも目を光らせていました。