10月11日の王座戦第4局。藤井聡太・七冠が永瀬拓矢・王座に勝利すれば、羽生善治・九段(日本将棋連盟会長)が1996年に七冠(最新のタイトル「叡王」は2017年から)を達成して以来の「全冠制覇」が実現する。第4局の対局会場となる京都市の「ウェスティン都ホテル京都」には、かつての「羽生フィーバー」を上回る報道陣が詰めかけるのは間違いないだろう。
「将棋界の歴史」を塗り替える瞬間に世の注目が集まるなか、半世紀にわたってプロ棋士たちの活躍と日常を写真に収めてきたベテラン写真家・弦巻勝氏の著作『将棋カメラマン 大山康晴から藤井聡太まで「名棋士の素顔」』が発刊された。同書に収録された弦巻氏と羽生善治・会長の対談では、羽生会長が「レンズを向けられる棋士の立場」について心情を明かしている。【全3回の第3回】
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いかに棋士にストレスを与えず撮影するかという技術
弦巻 羽生さんには若手時代から、いろいろな場面で撮影をお願いしてきました。将棋専門誌はもちろん、一般誌も将棋界のニュースターに注目していたので、プライベートな場面も撮らせていただきました。独身時代に一人暮らしの部屋にお邪魔するといつも整理整頓されていたので、“頭脳が整理されている人は違うんだなぁ”と感心したものです。
羽生 あの頃はタイトル戦などで家を空けることが多くて、部屋を散らかすような機会が少なかっただけだと思いますよ(笑)。
弦巻 小学生時代から今日に至るまで羽生さんの写真は数え切れないほどありますが、なかでも縁台将棋を羽生さんが眺めている写真は自慢の1枚です。
羽生 これは森下卓さん(九段)との対局で、高知での棋王戦(1995年2月)ですね。
弦巻 ちょうど七冠制覇をかけて羽生さんが谷川浩司さんと王将戦を戦っている時期でもありました(この年の王将戦では谷川王将に敗れる)。それにしてもさすがの記憶力ですね。
羽生 もちろん全部は覚えていないのですが、写真を見ると当時の記憶がすぐに蘇ってきます。それが写真の力ですよね。
弦巻 羽生さんはトップ棋士として40 年近く被写体であり続けていますが、対局場にいる僕らカメラマンをどう見ていましたか。
羽生 弦巻さんや、中野英伴さん(長く将棋専門誌『将棋世界』グラビアを担当)といった将棋界で長く活躍してこられた写真家の方々に共通しているのは、いかに棋士にストレスを与えず撮影するか、その技術の高さだと思うんです。もちろん「良い写真を撮る」ことも難しい技術なのでしょうが、緊張感に満ちた対局室で、まったく邪魔にならない空気のような存在になることは、それ以上に難しいのだろうと思います。
弦巻 僕が大切に考えてきたことを、羽生さんが言い表してくれて本当に感謝です。僕は棋士の撮影時、ストロボを使わないことをポリシーとしていました。将棋を撮り始めた頃(1970年代中盤)はフラッシュを光らせていたのですが、あるとき大山康晴先生(十五世名人)が眩しい光を嫌がっていることに気づいたんです。だから僕は棋士に強い光を当ててはいけないと思い、どんなに暗い場所でもストロボを封印しました。それから大山先生は、僕がレンズを向けても目線を上げてくれるようになりました。僕にとっては大きな学びでしたね。