日本全国にある「方言」。上京した途端に方言から標準語にシフトする人も多い一方、方言がさまざまな交流を生むこともある。茨城県出身の『女性セブン』の名物ライター“オバ記者”こと野原広子が、茨城弁について綴る。
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「東北の人?」
初対面の人からこう聞かれて、「いえ、茨城出身です」とムキになったのは何才くらいまでだったかしら。東京から西の生まれの人には、私の話す言葉が東北弁に聞こえるみたいなんだよね。
茨城や栃木のような北関東の出身者が上京して苦労をするのは、言葉そのものは標準語とたいして変わらないのに、イントネーションとアクセントが決定的に違うから。しかも自分ではその違いがわからない。
「はし、取ってくれる?」「違う。はし、でしょ? 渡る橋じゃなくてお箸のことを言いたいんでしょ?」なんてやり取りを18才で上京してから何回したかしら。
「いいじゃない。どんどん茨城弁でしゃべったらいいじゃん。方言は素晴らしい日本語だよ」って、そう言うのは東京の人だけじゃない。大阪の人も大阪弁でそう言う。若いときは方言が原因で飲み屋でケンカになった。
「冗談じゃない。茨城弁でケンカしたらどうなると思う? あんた、絶対に笑うよ。本気になって怒っているのに笑われたらどんなに切ないか、東京生まれのあんたにわかってたまるかよ」
酒の席の売り言葉に買い言葉。「イヤッ。絶対に笑わないから茨城弁で怒ってみて」と言われたら、私を止めるものはない。秒で茨城人になる私は、「ばが言ってんじゃねーッ。ごら。ちくばっか言って」と感情をこめて大声を出したとたん、「ぎゃははは。おかしー。ほんとに茨城の人ってそんな言葉、しゃべってるの?」だって(ちなみに「ちく」とは「ウソ」のこと)。それがいつの頃からか、タクシーに乗ると「お客さん、東京の人でしょ」と言われるようになったの。
記者という職業柄、いろんな人にインタビューをする。そんなときはよそゆきの顔、よそゆきの声だから、標準語になっていると私は思っている。
なのに、どうしたことか、「あなたはぼくと同じ福岡付近の生まれですか?」と言われたことがある。言った人は文学界の大御所、五木寛之さんだ。
毎月、新刊の紹介とその著者にインタビューをする仕事で、さまざまな著名人にお会いしたけれど、五木さんほど緊張した人はいない。子供の頃から愛読していたし、何より五木さんは話し言葉がすでに文学。私は黙って拝聴して読者が読みやすいようにまとめればいい。そう思ったら急にもったいなくてたまらなくなった。
せっかくご本人を前にして何をしているんだと。それで、「よし、聞こう」と決心したら、後は子供の頃に大勢でした縄跳びと一緒。呼吸を整えて、縄の中、じゃなくて五木さんのお話の途切れたところに自然に入り込むタイミングを計るだけ。
そのときの質問は20年以上たったいまでもよく覚えている。それに対して、「あなたはぼくと同じ福岡付近……」と言ったときの柔和なお顔も忘れられるものではない。