喜ぶ人がいるなら死ぬまで書きます
IT企業を2社起業し、アメリカ政府にもパイプを持つ大河内と、介護の際も相手の声にひたすら耳を傾け、自身の能力には無頓着な三谷。やがて三谷は鈴子の策略で役職を追われた大河内を救うべく、自分も知らなかった自分と出会うことになるのだ。
「この三谷は、例えば何もできない自分が何とか周りのおかげでここまで来れたという時、それは有難いと思うんじゃないかと思って、考えた主人公なんですね。
今はひけらかすのがトレンドでしょ? だからこそそうでない人間も必要で、例えば私が26で上京した頃、高知の佐川に黙々とミカンを作ってる爺さまがいて、これが森下雨村っていう、江戸川乱歩達を世に出した編集者。あとはイギリスの『セルボーンの博物誌』を一生働きもせずに翻訳した西谷退三なんて人もいて、自分の選んだ道に最後まで覚悟を持ち、人知れず積み重ねられる人間こそ、私は偉いなあって思うんです」
周りあっての自分という、主人公のあり方には自身の心情をそのまま投影したと言い、その彼が生き抜くために変化を余儀なくされるサバイバルシーンも見物。そして本書は「人生は所詮負けくらべ」といった諦観からも絶妙な距離を取り、負け=死とする資本主義的価値観と、介護の現場でのリアルな死とのコントラストは、多くの示唆に富む。
「だって私が負け犬だもん(笑)。負けても終わりじゃないし、負け犬なりに生きていく場所を見つけようという、私のポリシーですね。人のことはわかりません。負け=死だと思う人も今は多そうだけど、人のことは言えないんだよなあ……」
そして19年ぶりの本作に続く現代小説を、志水氏は必ず書くと約束してくれた。
「帯にコメントをくれた獏ちゃん(夢枕貘氏)に12年前、言われたんです。ふと気づくと年配の作家ほど小説を書かなくなっている、志水さんはどうか後に来る者のために書き続けてくれって。今は子供より快楽を優先する親とか、現実の方が何でもありだから、現代物は正直、難しいんだけどね。喜ぶ人が少数でもいるならやっぱり書こうかなって。だから死ぬまで書きます。しょうがないよ、もう(笑)」
【プロフィール】
志水辰夫(しみず・たつお)/1936年高知県生まれ。1981年『飢えて狼』で作家デビュー。85年『背いて故郷』で第4回日本冒険小説協会大賞と第39回日本推理作家協会賞長編部門受賞。『行きずりの街』で1990年に第9回日本冒険小説協会大賞、1992年には第4回「このミステリーがすごい!」第1位。1994年『いまひとたびの』で第13回日本冒険小説協会大賞短編部門大賞。2001年『きのうの空』で第14回柴田錬三郎賞を受賞。2007年の『青に候』以降、時代小説も人気。161cm、53kg、B型。
構成/橋本紀子 撮影/国府田利光
※週刊ポスト2023年10月27日・11月3日号