1970年代、若さゆえの葛藤や、まっすぐに突き進む若者の姿を数々の名言とともに描いた青春ドラマが、世代を超えて人々の胸を打った。『われら青春!』(1974年)は、尊敬されるだけでなく、生徒から愛される教師像を初めて打ち出し、その後の青春ドラマの方向性を決定づけた。主役は、文学座の研究生になったばかりだった中村雅俊。まだテレビに出たこともない新人を抜擢した舞台裏を、プロデューサーの岡田晋吉氏が語る。
「会って話した時に我々の求める『理想の教師像』にぴったりだと直感しました。一見ボンボンに見えますが、強さと優しさを兼ね備えている。それを演技で表現できる役者だ、とピンときたんです」
時には生徒のために喧嘩にも乗り出す掟破りの教師像は、視聴者に斬新な青春ドラマを焼き付けた。岡田氏は想定している主人公像に「体制側にいる反体制の人物」を挙げている。抜擢された中村は、なぜ自分が選ばれたのか尋ねたという。
「岡田さんは、『君は背が高かったから』と、いつもはぐらかすんですよ(笑)。ズブの素人が主役なんて、今では絶対に考えられない。当時は一人のプロデューサーの力が大きかったから、俺の役者人生は時代に恵まれたことも大きいですね」
青春ドラマの幕開けは、1965年放送『青春とはなんだ』(主演/夏木陽介)だった。続く『これが青春だ』(1966年)、『飛び出せ!青春』(1972年)などに、竜雷太、村野武範が主演で起用された。『われら青春!』の教師役は松田優作で進んでいたが、『太陽にほえろ!』で萩原健一が降板すると急遽松田の出演が決まった。両番組のプロデューサーだった岡田晋吉氏は代役に100人の候補者から中村を抜擢した。
生徒や仲間とともに泥だらけになり、時に涙を流し、時に肩を並べて大笑いする。中村雅俊の演じた教師や若者の姿は、青春ドラマのアイコンとして今も色褪せない輝きを放っている。
それら青春ドラマの代表作を、当時の出演者による思い出とともに紹介しよう。
『われら青春!』(1974年)
『飛び出せ!青春』(1972年)に続く青春学園シリーズの続編。太陽学園に赴任した新任英語教師・沖田俊(中村)は、落ちこぼれ集団として学校中から白眼視されていた3年D組の担任になった。
「ガラクタ」とあだ名される生徒らのために沖田はラグビー部をつくり、失敗を重ねながら部員やクラスの生徒たちと信頼関係を築いていく。挿入歌となったデビューシングル『ふれあい』は10週連続オリコンチャート1位、120万枚のセールスを記録。中村の出世作となった。
「初主演の作品で『頑張らなきゃ』と気負っていたんですが、NGを連発しました。そんな俺に聞こえるように『あと何回NG出すか、賭けようぜ』なんて言うスタッフもいたり、主役なのに照明のバッテリーを運ばされたりと荒っぽい使われ方をしましたが(笑)、口は悪いけど愛情に溢れた温かい現場でした」〈中村雅俊〉
「私が演じたのは、学校近くにある中華店の看板娘でした。前作『飛び出せ!青春』から出演していますが、前作の村野武範さんに比べて『今度の主役はなんか素朴』というのが雅俊さんの第一印象。しかも、最初の共演シーンは、雅俊さんが前日に飲みすぎて遅刻してきたんですよ(笑)。
生徒役も先生役も年齢が近いので、同窓会をしたり、東日本大震災で雅俊さんの故郷が被害に遭ったことで街頭募金を募ったり、いまだに付き合いがあります。そんな作品、珍しいですよね」〈青木英美〉