ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十二話「大日本帝国の確立VII」、「国際連盟への道5 その11」をお届けする(第1397回)。
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ドイツが中華民国から租借していた膠州湾の中心基地青島要塞を日本が陥落させたことについて、ジャーナリストあるいはマスコミが報ずべき点は三つあったと私は考える。
第一に、これでドイツは中国への足掛かりを完全に失い、植民地獲得によって大国をめざす欧米列強の一員から脱落したことだ。第二には、そのドイツに勝った日本の戦略が日露戦争などにくらべて洗練され、強力なものになったという事実である。そしてここまでは事実だが、第三として日本がとりあえず占領した膠州湾が今後どうなるかについて予測をすることも、きわめて重要であった。
いわゆる「今後の見通し」というものだが、これには単純な論理的予測だけで無く、希望的観測の要素が入る場合があるので注意しなければいけない。決して難しいことでは無い。「こうなるだろう」という事実に基づいた冷静な予測と、「こうあって欲しいという」事実を無視した願望とはまったく違う、ということだ。それでも人間のやることだから、どうしても後者の要素は入ってくる。
この三点について各国の報道を比較してみると、第一点については日本に好意的なイギリスも、そうでは無いロシアや他の国もしっかりと報道しているのだが、第二点については、前回紹介したようにアメリカの報道はかなり問題がある。いわば偏った見方なのである。
公平に見て、日本側の総司令官神尾光臣中将が取った作戦は兵員の損傷を最小限にして最大限の戦果を挙げた見事なものであったが、アメリカの報道にはこうした視点が見られない。そして神尾戦略が上手くいったのは、ドイツ軍がまったく補給を受けられないなど日本軍にとって幸運があったからで、それゆえドイツ軍の戦意も高まらず「敗れるべくして敗れた」。それが真実なのに、アメリカの新聞は客観的な報道で定評のある『紐育タイムス』紙もその他の各紙も、ドイツ軍が勇戦敢闘したように書いている。そのなかには前回までに紹介した青島要塞内の取材を許された記者の記事もあるから、これは事実誤認というより一種の捏造報道だろう。
では、第三点については米紙はどう述べているか。
〈ヘラルドは、日本が如何に速かに青島を還附するやは、是を今後に見ざるべからざるも、公平なる推測としては戰亂の終局迄之を支配すべしと論じ、ジヨルナルは、日本が相當の期間内に、容易なる條件を以て青島を還附し以て米人の誤解を釋き且つホブソニズムの毒牙を抜き去るを望むと述べ、トリビユーンは、若し獨逸にして歐洲に敗るれば、血を以て青島を贖ひ、且戰後國際的地位を昂上し、殆ど東亞の全局を左右すべき日本が、果して無報酬にて滿足すべきや。云々と論じたり。〉
(『歐洲戰爭實記』 博文館刊)
少しわかりにくいが、要するに『ヘラルド』紙は「日本がドイツから奪った形の青島を、本来の持ち主である中華民国にすみやかに返還するかどうかはわからないが、公平に見てこの戦争がすべて終了するまでは占領し続けるだろう」と予測し、『ジャーナル』紙は、希望的観測として「近い将来、日本が難しい条件をつけずに青島を返還することが望ましい。それはアメリカ人の(日本は中国に対して大きな領土的野心を抱いているという)『誤解』を解くことにもなり、結果的に帝国主義の方向性を転換することにもなるだろう」と述べているわけだ。
ホブソニズムのホブソンとは、以前紹介したことがあるがイギリスの学者でレーニンよりも早く『帝國主義論』(1902年)を書いたジョン・アトキンソン・ホブソン(1858~1940)のことだろう。もっとも、ホブソンの思想(ホブソニズム)は帝国主義そのものには批判的なのだが。
お断りしておかねばならないのは、これは当時のアメリカの新聞各紙を博文館の記者が要約したもので、原文にあたったわけでは無いので、極端なことを言えば正確であるかどうかも保証の限りでは無い。それに仮に訳文が正確であったとしても、膨大な記事のなかからどの部分を取り出すかによって読者の印象はかなり変わってくる。そこでまず内容の正確さについてだが、それはかなり信頼していいと私は考えている。
この時代になると、明治とくらべて英文を読める日本人も現地に滞在している日本人も格段に増えている。いい加減なことを書けばそれを批判する人間が必ずいるはずだが、いまのところ私もそれは確認できていない。そして、要約の中身もかなり的確であると私は考えている。つまり、当時のアメリカには広く「日本は中国に対して深い領土的野心を抱いているのではないか」という懸念があったということだ。