【シリーズ・没後1年アントニオ猪木さんを語る】「闘魂は連鎖する」──アントニオ猪木さんの引退試合で実況の古舘伊知郎アナはこんな名言を残した。“燃える闘魂”は多くのファンの人生に連鎖し、その炎は今なお、各人の心の中で燃え続けている。アントニオ猪木さんが昨年10月に亡くなってから1年。ファンでお笑い芸人の玉袋筋太郎(56)が語る。
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亡くなって1年が経つけれども、重度の「猪木病」患者を自任している俺は、いまでも毎日一度は猪木さんのことを思い出している。
いま、世界のあちこちで戦争が起きている。猪木さんだったらどうするのかな。ジャニーズの問題に何を言うのかな……つまりまだ、俺の中では生きているんだよな、猪木さんが。
自慢じゃないが、『3年B組金八先生』や『太陽にほえろ!』なんて見たことがない。ガキの頃から金曜8時はプロレスの時間と決まっていた。全盛期の猪木さんのすべてのシーンが俺の頭の中には記憶されていますよ。
プロレスファンだった水道橋博士と「浅草キッド」を結成したのが1987年。当時の俺は「たけし信者」でもあり「猪木信者」でもあった。
この年、伝説の暴動騒ぎに発展したのが「TPG」(たけしプロレス軍団)だった。あの当時、俺と博士、それに東スポの芸能担当記者とダンカンさんが居酒屋に集まって、殿をどう新日本のリングに上げるか、TPGをどう転がすか、適当に雑談していた。その内容が翌日には東スポの1面を飾るといった展開で、いやおうなしにTPGは新日本のストーリーラインに組み込まれていったわけだ。
何か凄いことが起きそうな予感はあったけど、最後の最後に悪い意味で予感は的中した。当日、猪木さんの対戦相手を突然変更したことで、ファンが激怒し暴動が起きた。リングに上がった殿と軍団は大ブーイングを浴び、あれ以降、俺たちは殿の前でプロレスのプの字も言えなくなったよな。