警察や軍関係、暴力団組織などの内部事情に詳しい人物、通称・ブラックテリア氏が、関係者の証言から得た驚くべき真実を明かすシリーズ。今回は、かつて同じ町内会に複数の暴力団事務所があった東京・赤坂では、不思議と揉め事が少なかった背景について。
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赤坂のある商店街はかつて暴力団が関係する店が軒を並べていた。そこに昭和の一時期、元組長は事務所を構えていたという。
「ここにあったんだ」と元組長が車のハンドルを握りながら窓から指さしたのは、赤坂見附の交差点からすぐの場所だ。「小さな部屋だったけどね。赤坂のここら辺には暴力団の事務所がいくつもあった」というのだから、当時の赤坂はヤクザにとってステータスのある地域だったのだろう。
赤信号で車が止まると、「あそこには○○組の事務所、ここには▽▽組、あのマンションには××組がいた」と、元組長は通り沿いのビルを次々に指しては、懐かしそうに名前をあげていく。どれも指定暴力団傘下の組ばかりだ。「20以上は事務所が並んでいたと思う。うちの事務所の窓からも、他の組の出入りや警察の動きがよく見えた」(元組長)。
「ここは元住吉会の本部ビルだった」という場所は、地下鉄赤坂駅近く、赤坂通り沿い。9階建ての本部ビルがあったが、その面影も今はない。この地域では再開発が進んでいるという。
赤坂界隈の組員らが集まる親睦会
山口組の抗争などを考えると、暴力団同士が同じ町内会に事務所を構えていることで、争いは起きなかったのかと尋ねると、元組長は「若いヤツらが、飲んで騒いで喧嘩するということはあったが、組同士が争うということはほとんどなかった」という。