テレビアニメ『鉄腕アトム』は当時多くの少年たちの価値観に影響を与え、その後の人生を変えた。アトムと手塚治虫の哲学に魅せられた少年たちは、現在様々な分野で最先端を走る。そんな彼らの「原点」を探る。【前後編の後編。前編を読む】
哲学書でもある
人間への深い洞察に裏打ちされた物語は、創作の道を志す少年たちにも影響を与えた。
「僕は1950年生まれで、当時の子どもは全員『鉄腕アトム』を読んで育ちました。アトムは僕らにとって幼なじみ。頁を開けば、今でもたちどころに、その時々の情景が思い浮かびます」
そう語るのは矢作俊彦氏(73)。小説家の彼にとって、『鉄腕アトム』こそが創作の原点だったという。
「私は机の下に潜り込んで本ばかり読んでいる子どもで、手塚治虫さんの作品は浴びるように読みました。手塚漫画を読んでいたおかげでどんな哲学書に出合っても大した驚きはなかった。『私は何者か』『君は何者か』と絶えず問いかけ、人間と機械、社会の関係性、生命とは何かなど、多岐にわたり提起するアトムは私にとって別格の漫画でした」
今でも鮮明に思い出すワンシーンがあるという。
「『海蛇島』の話ではアトムが空を舞うカモメに『君はいいなぁ。自由に外国へ行けて』と、話しかけるシーンがあるんですよ。でも、『僕たちロボットは行けないんだ』とうなだれる。科学技術の流出を防ぐため自由に海外へは行けないのです。1950年代の少年漫画の発想として飛び抜けていますよね。
当時は『へぇ~』で終わったけれど、成長して言わんとしていたことを理解するたびに、手塚さんのメッセージは記憶の中でどんどん付加価値がついてくるんです」
矢作氏は世の中に生まれた画期的なツール──Eメールや携帯電話、スマートフォンなどに遭遇しても驚かなかった。なぜなら、すべて手塚作品で既に読んでいたから。
「先日、耳の不調で耳鼻科へ行ったら補聴器を勧められたのですが、耳にかけると煩わしくてしょうがない。『こめかみをスッと開いて米粒大の機械を入れたら聞こえるようになるって、手塚さんが言っていたぞ』と呟いたら、医者が『それは漫画の世界でしょう』って(笑)。まだまだ現実世界よりも手塚漫画は先を行っているなと感じますね」
2003年に小説『ららら科學の子』を刊行。1960年代の学生運動に身を投じた主人公の逃避行を描いた同作は三島由紀夫賞を受賞した。巨匠・手塚治虫から学んだのは科学主義。
「科学の前で人は平等。科学は人間を試すことはあっても嘘はつかない。信用に足る。そのメッセージを信じたことに後悔はないし、おかげでずいぶん前向きに生きてこられた。しかし、アトムが見せてくれた未来は輝かしく美しく少し苦かったのに較べて、こうして現在になってしまった未来がただただ苦いだけなのは残念でなりません」