11月3日に公開された映画『ゴジラ-1.0(ゴジラ マイナスワン)』が話題を呼んでいる。怪獣映画『ゴジラ』シリーズの37作目で3日間の観客動員数は64万人。興行収入は早くも10億円を突破し、7年前に公開された前作『シン・ゴジラ』を凌ぐ勢いだという。その“国民的怪獣”ともいえる「ゴジラ」の生みの親となった事件にも改めて注目が集まっている。ジャーナリスト・相澤冬樹氏がレポートする。
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ゴジラの生まれ故郷は、戦時中まで日本の委任統治領だった南洋諸島のビキニ環礁だ。ここでアメリカが行なった核実験で被曝し、巨大な怪獣となった。これはあくまで架空の設定だが、実際にビキニ環礁の核爆発で被曝した漁船があった。
第五福竜丸。1954年3月1日、マグロはえ縄漁のさなかにアメリカが水爆実験を実施。船はアメリカが設定した危険水域の外にいたが、爆発の威力が米軍の想定をはるかに上回ったため、吹き上げられたサンゴ礁の破片など大量の死の灰(放射性降下物)を浴びた。帰国後に乗組員の多くは急性放射線症と診断され、無線長の久保山愛吉さんが半年後に死亡(享年40)。ほかの乗組員も様々な症状を訴えるようになった。この事件は当時新聞などで大きく報道され、日本で反核運動が高まる契機となった。
この事件に触発され、放射能の恐ろしさを体現する怪獣として「初代ゴジラ」が誕生。ビキニ環礁での核実験の8か月後に封切られ大きな反響を呼んだ。これが現在公開中の『ゴジラ-1.0』につながっている。ちなみに水着のビキニも、小型ですさまじい威力を発揮する核実験のように衝撃的だというところから名付けられたそうだ。核実験場の名前を水着に付けるあたり、欧米諸国が問題を深刻に受け止めていなかったことがうかがえる。