オーナーシェフ・大宮勝雄さん(73)の指導のもと、多くの料理人を輩出してきた「レストラン大宮」。『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)では、地方から上京して料理人を志す若者を育てる様子が3年にわたって放送された。そんな浅草本店の店内では、全国からやってくるお店のファンと、笑顔で話す大宮シェフの姿も見られる。
18歳で料理の道へ。国内外のレストランで研鑽を積み、32歳で「レストラン大宮」を開店。その歩みは、現在の若者たちが経験するものとはまったく異なるが、共通する部分も少なくはないはずだ。今でこそ笑顔で穏やかな大宮シェフだが、過去には「お叱りもたくさん受けたし、お客さんとケンカになったこともあった」と語る──。【前後編の後編。前編から読む】
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──大宮シェフご自身は18歳で料理の道へ入ったそうですが、当時の料理人の世界は、現在と比べてかなり厳しいものだったのでしょうか?
「僕が修業していた頃は、殴られたり蹴られたりというのが当たり前でした。それらが愛だったのか、単なるいじめだったのかはよく分かりませんが(笑)。仕事はそうやって覚えるものだというのが、当時の日本の料理界では常識でした。今とはちょっと比べられないですね。世界がまったく違う」
──26歳で海外へ渡り、ニュージーランドのレストランでは、スーシェフ(副料理長)を務められていますね。
「日本と海外の働き方も、まったく違うものでした。イギリスやフランスのレストランにも勤めましたが、向こうは仕事が終わるとスタッフみんなでバーへ行き、上下の垣根なく友だちのように楽しむ。日本の料理界は上下関係が厳しく、シェフや親方の言うことは絶対という空気があった。海外のやり方に倣い、僕も自分の店では『仕事が終わったら友だちのような関係』を心がけています。とはいえ、昔は今よりももっと厳しかったですけどね」
──当時は、お客さんにも厳しかったのだとか?
「それも昔の話です(笑)。カウンターで本を読みながら食べているお客さんを見かけると、『料理を食べるのか、本を読むのか。どっちかにしてくれませんか?』なんて、つい言っちゃう。常連さんは、『昔のシェフは怖かった。緊張感があったけど、それもよかった』なんて言ってますね(笑)」
──現在の穏やかな大宮シェフからは想像がつきません。
「15年前、新丸ビルに店を出したのが変わったきっかけですね。浅草・仲見世のすぐ近くにある本店と、オフィス街の新丸ビル店では、客層がまったく違う。僕はこういう性格だから、新丸ビル店を出した当初はお叱りもたくさん受けたし、お客さんとケンカになったこともある(笑)。そうした衝突やトラブルを経て、『井の中の蛙じゃいけない』と考えるようになったんです。本当にいろいろと勉強になりました」