「子供の頃は帽子嫌いで体育の赤白帽子しか、かぶったことがなかったんです。小学生の頃に1つだけ巨人の野球帽を持っていましたが、それもかぶる用ではなく、遊び用。つばの裏の白いメッシュで目元を覆って“変身”するための小道具でした(笑い)」。屈託なく笑いながら語るのは、仏パリを拠点に活躍する帽子デザイナーの日爪ノブキさん(44才)。2019年に「仏国家最優秀職人章(M.O.F.)」の帽子部門を日本人で初めて受章し、同年にブランド『HIZUME』を立ち上げた。
仏文化の最も優れた継承者にふさわしい高度な技術を持つ職人に授与されるM.O.F.はいわば、フランス版・人間国宝。日爪さんのような伝統技術を持つ帽子職人は仏国内でもごくわずかだ。そんな第一人者が帽子嫌いだったのだから、運命はわからない。
個性の表現として服に興味を持ち、服飾デザイナーを志した。大卒後に進んだ専門学校時代に「オンワード新人デザイナーファッション大賞」で秀作賞を獲得。いまにつながる運命の出会いがあった。
「審査員長のジャンポール・ゴルチエさんとお話ができたんです。ゴルチエの服が好きで着ていましたし、トップで活躍されている雲の上の存在。そんなすごいかたが極東の一学生にも対等に、まっすぐ向き合ってくださった。“これが世界一の人材か!”とさらに憧れが強まり、ゴルチエさんのいるパリを目指したんです」(日爪さん・以下同)
専門学校を主席で卒業した当時は、「帽子は傍流で、自分が進む道ではない」と思っていたという日爪さん。まずはイタリアで服飾デザイナーとしての経験を積み帰国すると、舞台の帽子・ヘッドピースの依頼が舞い込んだ。これが大成功して評判が広がり、帽子職人の道がおのずと開けた。
その実績が評価され、2009年より文化庁の海外研修制度で念願のパリへ。ゴルチエもかかわっていたエルメスやクリスチャン・ディオールのパリコレ用プロトタイプ(試作品)を作る仏最高峰の帽子アトリエで修業し、技を磨いた。
シャネルやイヴ・サンローラン、ルイ・ヴィトン、ロエベなどトップメゾンから指名され、モナコ公室へ献上する帽子も製作。日本でも舞台のほかに松任谷由実やJUJUらミュージシャンの帽子デザインなど、依頼が絶えない。
語学は苦手だったが、いまではアナスイと英語でクリエーションの議論を交わし、パリの職場では仏語でジョークを飛ばす。しなやかに活躍する日爪さんが、世界で道を切り開いた秘訣とは──。