「当時の現場は男性ばかり。当時、プロデューサーだった母は“子連れ狼”と呼ばれながら奮闘していました。小さなプロダクションなので資金繰りが苦しく、借金取りが押しかけて大変なときもありました。
だけど母は“もうダメかもしれない”とつらそうな顔を何度浮かべても、そのたびにまた映画を作って立ち直る。そばで見ている私も、一度もやめてほしいと思ったことはありません。ただ、以前実家に車で寄ったとき、たまたま来ていた借金取りにその車を担保として持って行かれてしまったときは切なかったですね……(苦笑)」(上野さん)
1996年にアニメ映画『エンジェルがとんだ日』で初めて監督を務めるも、2年後に典吾さんが他界。失意のなかでも消えない炎を原動力に、2004年、『石井のおとうさん ありがとう』で劇映画の監督としてデビューを果たす。このとき山田さんは71才だった。
以降は、中国残留孤児をテーマにした『望郷の鐘─満蒙開拓団の落日』(2015年)や日本の女性医師第一号を描いた『一粒の麦 荻野吟子の生涯』(2019年)など、戦争や男女差別を扱う映画を作り続けている。
今作の脚本の中にも《なんで誰か仲裁に入って、戦争を止めないのかなぁ!》《どこかで戦争をやって武器弾薬を作ると儲かるんだって言ってた人がいたわ。私思ったんだけど、世界中の人が知的障害になってたら、原爆なんて作らなくて済んだのにね》と反戦・反差別を訴えるせりふがちりばめられている。
「なぜ真っ当に生きようとする人が生きられないんだろうという世の中へのジレンマを、正義を振りかざすわけではなく、しっかり伝えようとする山田さんは根っからのジャーナリストだと思う」(渡辺いっけい)
(第3回へ続く。第1回から読む)
※女性セブン2023年12月14日号