毎年1月2日と3日に開催される箱根駅伝。2024年は100回大会を迎える記念すべき年であり、予選会の全国化や本戦出場枠の増加をはじめ、記念大会として例年以上の盛り上がりが期待されている。しかし、2024年は実は箱根駅伝の100周年ではない。
駅伝をテーマにした作品が話題となり、戦時下の箱根駅伝を舞台にした近著『タスキ彼方』がある小説家の額賀澪氏が、その背景をリポートする。【前後編の前編】
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箱根駅伝(正式名称:東京箱根間往復大学駅伝競走)が始まったのは1920年(大正9年)のことだ。100回大会には23校が出場するが、第1回大会出場校は東京高等師範学校(現在の筑波大学)、慶應義塾大学、早稲田大学、明治大学の4校のみだった。1つの大学から長距離を走れる選手を10名起用するのは、とても難しいことだったようだ。
創立当初から東京箱根間を往復する駅伝大会であったが、現在の開催日程と異なり、第1回大会は2月14日と15日に行われた。1月に開催されるようになったのは、翌年の第2回大会からだ。
1920年にスタートした箱根駅伝の創設100周年は2020年。しかし100回大会は2024年である。この4年のズレには、1937年(昭和12年)に勃発した日中戦争、そして1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)まで行われた太平洋戦争が深く関係している。
戦時中、多くのスポーツ行事が中止に追い込まれた。箱根駅伝に限らず、例えば夏の甲子園(当時は「全国中等学校野球大会」という名前だった)も5年間におよぶ大会中止期間が存在する。
しかし箱根駅伝の年表を振り返ってみると、この大会中止期間がとても奇妙な形をしている。
それを顕著に表すものが、箱根駅伝のスタートとフィニッシュの地、東京・大手町にある。