毎年1月2日と3日に開催される箱根駅伝。2024年は100回大会を迎える記念すべき年であり、予選会の全国化や本戦出場枠の増加をはじめ、記念大会として例年以上の盛り上がりが期待されている。しかし、2024年は実は箱根駅伝の100周年ではない。戦時中に中止されていた期間があったからだが、1942年6月のミッドウェー海戦を機に日本が劣勢を強いられる中、翌1943年に「第22回大会」が唐突に復活していた。そこで何があったのか。
駅伝をテーマにした作品が話題となり、戦時下の箱根駅伝を舞台にした近著『タスキ彼方』がある小説家の額賀澪氏がリポートする。【前後編の後編。前編から続く】
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数多くのスポーツ行事が中止に追い込まれていた戦時下の1943年(昭和18年)に開催された箱根駅伝第22回大会の正式名称は、「靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会」。
いかめしいこの名前から、「当時の政府が国民の戦意高揚のために箱根駅伝を利用したのではないか?」と考えた人もいるかもしれない。スタート・フィニッシュ地点が靖国神社であること、大会名に「鍛錬」という言葉が使われていることからも、この大会がそれまでの箱根駅伝と全く違う大会であったことは間違いない。
この「靖国神社をスタートし、靖国神社にゴールする箱根駅伝」について詳しく知ることのできるノンフィクションが2冊ある。『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』(澤宮優/集英社)と『昭和十八年の冬 最後の箱根駅伝 戦時下でつながれたタスキ』(早坂隆/中央公論新社)である。令和を生きる私達にとって当たり前のものとなった「箱根駅伝のあるお正月」が、戦時下の学生達にとってどれほど大切なものであったかを教えてくれる2冊だ。
この2冊を参考資料に、戦争に奔走された箱根駅伝の歴史を紐解きたい。