最初は大阪NSCを受験し不合格に。福岡に戻り居酒屋とかでアルバイトをしてお金を貯め、24歳で上京。情報誌でオーディション情報を探して、電話してネタ見せに行き……って感じで始めました。「留守番刑事」というコンビで漫才をしたこともありましたけど、しっくりこなくてすぐ解散し、あとはピンでやってきました。
下積みバイト生活に訪れた転機
ほかの芸人同様、ずっとバイトしながらライブに出る生活でした。バイトはパチンコ屋、コンビニ、チラシ配り、変わったところでは、下水道の仕組みをお芝居で小学生に伝える“下水道のお姉さん”。
バイト先では腹の立つこともありました。2、3年前まで、あるスーパーでレジ打ちをやっていたんですけど、私が芸人だってことで、年下店長から私の弱点を握っているかのようにぞんざいに扱われたうえ、ババア扱いされてこき使われたり。若い女の子への態度と全然違う。腹が立つことがあまりにも多かったので、ダンナさんに土下座して「お笑いだけでやらせてください」とお願いし、今はバイトはしていません。
でも、一番つらかったのは、なかなかテレビに出るチャンスを得られなかったことですね。早く『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)とかテレビに出て、たくさんの人を笑わせたい、と思っているのに、芸人の卵はとにかくたくさんいるので、テレビに出演するオーディションを受けるチャンスさえなかなか得られなかったんです。それで、がんばってネタを作って、ライブで見せて、でもスベッて「クソッ!」「次こそ笑わせるぞ!」とまたがんばる……その積み重ねでしたね。悔しさをバネにしていました。
転機は2016年、今の事務所に移ったこと。ここに受け入れていただいてから、チャンスが広がりました。そのマネージャーさんとは昔から知り合いだったんです。でも、私は当時40歳。若くもないのに所属させて、マネージャーさんは会社で肩身が狭かったんじゃないかな。だから、2年後の2018年に「THE W」で決勝に進出し5位になったときには、顔が立てられてホッとしました。