「挨拶と~」は、たしかにくだらない冗談です。しかし、学級会的な正論を振りかざして「許さない!」といきり立つことが望ましい反応とされたら、至らなさに対する寛容な気持ちや自分とは違う感覚を適当に受け流す柔軟性は、人々の心からどんどんスポイルされていくに違いありません。それは間違いなく「生きづらい世の中」への道です。
さらに、叩きたがり屋さんが増えれば増えるほど、人々はお互いに疑心暗鬼になり、揚げ足を取られることを恐れて、ビクビクした気持ちで暮らさざるを得ません。戦時中に「非国民」「お国のため」を絶対的な基準にして、考えることを放棄しつつ相互監視が強まったのと同じです。あら探しに精を出していた国防婦人会のメンバーは、きっと充実感や気持ちよさに包まれていたことでしょう。現代の叩きたがり屋さんのように。
大きなお世話かもしれませんけど、叩くことに精を出している人たちも気の毒です。新たな快感を得るために、常におあつらえ向きの対象を探し続けなければなりません。鵜の目鷹の目で叩く対象を探し続ける心の中は、さぞ殺伐としているでしょう。
「挨拶と~」を叩くのはいかがなものかと思う同士のみなさん、逆風に負けずに今のスタンスを堅持しましょう。チャンスがあれば「まあまあ、いいじゃないですか」とかばってあげたいところ。このままでは「据え膳食わぬは男の恥」「悪女の深情け」「蓼食う虫も好き好き」といった味わい深い言葉も、遠からず攻撃対象にされてしまいます。「酒と女は二号まで」や「女房と畳は新しいほうがいい」は、すでにパージされました。
まあでも、叩くことには毅然と異を唱えたいですけど、だからといって自分がスピーチするときに「挨拶と~」を使うかというと、それはまた別の話です。