性的少数者をめぐり様々な議論が噴出している。2023年6月の通常国会で成立した「LGBT理解増進法」の法案審議では「女性と称した男性が女性トイレや女湯に入る」との反対論が出るなど議論は沸騰。12月には、KADOKAWAが発売予定だった米ジャーナリストの著書『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』の翻訳本が、当事者らから「タイトルや宣伝コピーが差別を助長する」などと批判を受け刊行中止となった。今、当事者は何を思うのか。かつてテレビ番組で “カミングアウト”したモデルでタレントの佐藤かよ(35)に、旧知の編集者の小林久乃氏が聞いた。【前後編の前編】
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自らが性同一性障害であると、テレビ番組で告白をしてから早や13年。当時21歳だったタレントの佐藤かよが、リスタートを切ろうとしている。彼女はこの約10年間、さまざまな経験を経たおかげで、自分が変わったという。
「20代の頃は他人の目ばかり気にしていました。例えば仕事の現場で、誰かが立ち話をしていると、『自分のことを話しているのでは』と自意識過剰になったり、いつも寂しくて、感情もコントロールすることができなくて……自分自身と向き合うことも避けていました」
彼女がカミングアウトをした2010年は、今以上に日本社会全体のLGBTQに対する理解は進んでおらず、性自認の問題にも無頓着だった。彼女自身、子どもの頃に友人と遊んでいると、いつの間にか仲間はずれにされることもあったという。友人たちの親からの「近寄っちゃだめよ」というアドバイスがあったかもしれないし、幼いながらに何かを感じたのかもしれない。無邪気ないじめほど、残酷だ。そして家族にとってもまた戦いだった。
「父には、(当時の)性同一性障害を理解してもらえなかったこともありました。私に対する、心配あってのことだったと、今ではなんとなく父の気持ちは分かります。でも母は生まれた時からずっと寄り添ってくれていて、今、名古屋で一緒に生活もしています。兄も母と同じで、心配してくれています」
タレント、モデル、趣味を活かしたゲーマーの顔も持ち、順風満帆に見えていた約10年前。居場所を求めるように、外国に足を運ぶことが増えた。ニューヨーク、ロサンゼルス、パリ、タイ、韓国……。それぞれの国で異なるLGBTQへの対応などを、身をもって体験することになる。
「コミュニケーションを持った人たちには、どこの国でも自分がトランスジェンダーであることを最初に伝えていました。その瞬間、態度が変わって逃げていく人もいたし、受け入れてくれる人もいた。多くの価値観を学びましたね。
そういうことを繰り返していくうちに、だんだん自分も慣れてきて。『ああ、ここは日本の芸能界ではないんだから、特別扱いをされなくて当然だ』って。そしたら、周囲の目なんて“気にしなくなった”。気にしない、これはこの約10年間で得た、大きな変化です」