1月2日に羽田空港で起きた日本航空516便(新千歳発・羽田行き)と海上保安庁の航空機の衝突・炎上事故。日航機からは乗客・乗員379人が全員脱出したが、能登半島地震の対応のため海保機に搭乗していた職員6人のうち、5人が死亡した。
事故から一夜が明け、現場には主翼と尾翼以外は跡形もなく焼けた飛行機の残骸が残されていた。その姿は、炎の強さを物語っている。
また、事故当時の状況も少しずつ分かってきている。日航機では、衝突直後に火が出たが、機内のアナウンスシステムが作動せずに、客室乗務員がメガホンと肉声で誘導したという。脱出前の機内で撮影された映像も報じられ、「早く出してください!」「(ドアを)開ければいいじゃないですか」と叫ぶ子どもの声や、「開けて!」という大声を上げる人、泣いている人の姿など緊迫した様子が伝わってきた。
乗客男性「これはマズイ…」
炎上した日航機から脱出した50代男性は、NEWSポストセブンの取材にこう語った。
「私は、左翼の少し前方のマド側に座っていました。着陸までは何の違和感もありませんでしたが、突然大きな音と強い光が上がりました。飛行機が滑走している中、外を見ると機体から炎が出ていて『これはマズイ』と思いました。
機内で煙の匂いがして、子どもが泣き声をあげていたけど、全体は基本的に座席に座ったままで、パニックにはなりませんでした。その後おそらく客室乗務員さんがいくつかドアを確認して、機体前方のドアから皆が脱出しました。機内は暗いままだったので、あの人数でパニックにならなかったのはすごいと思います」
日航機に関しては幸いにして犠牲者は出なかったが、テレビで炎上する飛行機の映像が流れ続ける中、「海保機と衝突」という情報が流れてから「全員脱出」が確認されるまでの間、 “悪夢の再来”を危惧する人もいた。航空機事故に詳しい記者が語る。
「航空機関連の仕事に携わる人なら、あの映像を見て、滑走路上での衝突として有名な『ロサンゼルス国際空港地上衝突事故』(1991年)やイタリア・ミラノの『リナーテ空港事故』(2001年)を思い浮かべたはずです」