「嫌な女ですねえ(笑)」
本郷:二人は「愛人」として描かれるのかな?
木村:女房が主人と恋仲になることもありましたが、NHKは「生涯のソウルメイト」としているようです。紫式部自身や彼女が書く物語の一番の理解者として、道長は描かれるのではないかと。
本郷:当時の日本の総人口は約1000万人で、そのうち貴族はわずか500人ほどでした。狭いコミュニティである宮中での話が軸になると考えると、それぞれのキャラクターが重要ですね。
木村:同感です。ライバルだったと言われる清少納言は、紫式部が彰子の女房になる前から道長の兄・道隆の娘である定子(高畑充希)に仕え、宮中の男たちが集うサロンを形成した。漢文の素養があり、明るく社交的な清少納言は男たちからも評判の女性でした。
本郷:世間一般には清少納言は明るく、紫式部はどちらかというと暗いと捉えられていますね。
木村:はい。定子より後に一条天皇(塩野瑛久)の妻となった彰子は当時12歳。その女房となった紫式部は、彰子のサロンを盛り上げようと、一生懸命『源氏物語』を書いたのだと思います。
本郷:清少納言への対抗意識もあるのでしょうか。
木村:紫式部が彰子に仕えて1年ほどで定子が亡くなります。その後、清少納言は彰子のもとに呼ばれた可能性はあるのですが、紫式部がそれを拒否したのではないかと窺わせる記述が『紫式部日記』にはあるんです。
本郷:どんなことが書いてあるんですか?
木村:“清少納言は漢文が得意らしいけど、私だって小さい頃から得意”みたいなことが長々書いてあったり、彰子から「近寄りがたいと思ったけど一番あなたと仲良くなった」と言われたと書いていたり。要は、“彰子には私がいるから、清少納言はいらない”とアピールしているんです。
本郷:ちょっと嫌な女ですねえ(笑)。