『仁義なき戦い』や『渡り鳥』シリーズで知られる銀幕スター・小林旭(85)は、昭和の映画界・芸能界を生き抜いたレジェンド俳優だ。かつての芸能界のあり方と、大きく変わってしまった今の芸能界について何を思うのか──小林が過去を振り返りながら語る。【全4回の第2回。第1回から読む】
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大騒ぎになったジャニー喜多川の性加害だって、芸能界じゃ何十年も昔から知られた話だ。
俺の家に昔、ジャニーとメリー(喜多川)が来たことがある。当時、駆け出しだったジャニーズ事務所が売れっ子の俺をマネジメントしたいという話で、ジャニーから「旭さん、私のところに体を預けてくれませんか」と言われたんだ。
でも彼と少し話をして、“これは俺の世界じゃないな”と思った。考え方が肌に合わなくて、それ以上マネジメントの話は進展しなかった。
ジャニーズにせよ他の大手プロダクションにせよ、タレントをテレビ局に売り込んでスターにする豪腕は大したものだった。でもな、俺は、小林旭という男は、芸能界の権力者にへつらうことはしなかった。大手事務所の連中に「バカ野郎が」と言い続けてきた。
その結果、嫌な目にもあった。特に昭和61年の「第28回日本レコード大賞」は忘れられない。審査を終えた後、審査員の西村晃が俺のところに来て言うんだ。「おめでとう! 『熱き心に』が大賞に決まったよ!」ってな。フタを開けたら大賞は中森明菜の『DESIRE─情熱─』だった。芸能界の汚い部分を見せつけられた気がして、レコ大だけでなく、授賞式を放送するTBSにも複雑な想いを抱いたよ。
こういう権力や忖度がはびこる芸能村を一層腐らせているのがコンプライアンス文化だ。最近のテレビは視聴者からクレームが出ないことばかりに苦心して、喫煙シーンもカットされるんだろ。
本来、人間には清濁併せ呑む「ゆとり」が必要なんだ。丸太の桶だって「たわみ」があるから砕けも外れもしないのに、今の時代にはゆとりがなさすぎる。
セクハラやパワハラも昔はザラにあった。俺も大部屋役者時代は衣装をドブ川に捨てられたり、アクションの撮影中に本気で殴られたりと嫌がらせばかりされた。無論、そうした映画界の悪しき風習は一掃すべきだけど、厳しい現場だから学べることが多いのも事実。今は現場がぬるま湯で礼儀や礼節を教える人がいなくなったから、無作法な人間が目立つ。
かつて俺がNHKの歌番組に出た時、司会の宇崎竜童がサングラスをしていたから、「司会はちゃんとゲストの目を見て喋れるようにしろ」と本番前に外させたことがある。それ以降、宇崎は俺の教えをしっかり守っていたけど、こんな事も今じゃパワハラと言われてしまうのかね。
(第3回に続く。第1回から読む)
※週刊ポスト2024年1月12・19日号