離婚に際したコメントで、羽生はそう理由を明かしていた。振り返れば、プロ転向以前から、羽生はメディアを牽制する言葉を漏らしてきた。
「ぼくはアスリートなんですけど。スケートしたいだけなんですけどね。スケートとプライベートってまったく関係ないし、ぼくはアイドルじゃない」
2018年2月の平昌五輪での金メダル獲得後、スポーツ紙のインタビューでそう話していた。また、同年5月にロシアのフィギュアスケーター・メドベージェワ(24才)との熱愛が一部週刊誌で報じられた際には、「変な報道もありますけど、ぼくは関与してません。ビックリしました。別の世界のぼくが知らない羽生結弦っていう人がいるんだなって」と明かした。
「メドベージェワとの関係を否定したのは、アイスショーの公演後、いわゆる囲み取材の場でした。報道陣は気を使って熱愛報道には触れなかったんですが、取材終了後に、わざわざ羽生さんから切り出したんです。がまんならなかったということなんでしょう」(スポーツ紙記者)
フィギュアスケート界だけに留まらず、世界的な人気を得るにつれ、メディアを忌避する姿勢は強まっていった。
「修行僧みたいな感じ。だからパパラッチのかたとかが来てもおもしろくないんだろうなと思う。リンクに行って、練習して、帰ってきて、ご飯を食べて、トレーニングして、お風呂に入って、寝るみたいな」
2019年9月のオータム・クラシックで優勝した後、前人未到のクワッドアクセル(4回転アクセル)成功のための生活ぶりについてそう話し、自身からメディアの視線を逸らそうとしたこともあった。そうして蓄積された感情が、今回、離婚にまつわる報道をきっかけに漏れ出したのは想像に難くない。さらに羽生の怒りを増幅させたのは、家族への言及だった。
かねて羽生は、スケーターとしての自身を支える家族の存在を重要視してきた。教師だった父は、睡眠時間を削って、深夜にアイスリンクに通う羽生の送迎を担った。自身もフィギュアスケートを習っていた姉は、弟のために選手としての日々を諦め、羽生が拠点とする仙台市内のアイスリンクに就職した。
中でも母は羽生に24時間体制で寄り添い、幼少時、体が弱かった羽生を食事や健康管理の面から支え続けた。2012年に羽生が拠点をカナダ・トロントに移した際には、異国の地に帯同し、母と息子2人だけの生活を送った。
「もともと親子ってひとつの細胞からできているわけじゃないですか。親子だからこそわかる言葉にしなくても伝わる絆や愛情ってあると思います」
2018年11月、羽生はP&Gのウェブインタビューでそう話していた。前出のスポーツ紙記者が続ける。
「プロ転向後も、羽生さんにはお母さんを中心に常に家族が付き添っています。インタビュー取材などの場にも立ち会い、『羽生結弦ブランド』に傷がつかないように余念がありません。一方で、取材などでスケート以外の話題に及ぶことは御法度で、間違って聞こうものなら“取材拒否”されかねない雰囲気があるんです。家族が顔や名前を出して取材に答えることも絶対にないと言っていいでしょう」
契機となった2つの報道は、ともに羽生の離婚の背景に、家族の存在があったことを示唆していた。そこが羽生の逆鱗に触れたのかもしれないが、家族最優先の羽生のその姿勢にも、疑問の声は上がった。
「結婚後、報道が過熱する状況でもSNSで警鐘を鳴らすことなく末延さんとは即離婚しました。にもかかわらず、自身や家族に累が及びそうになると強いメッセージを出したわけです。それだけで、羽生さんの中での“優先順位”が透けて見えます。
離婚発表の直後、結婚相手の正体をスクープした山口県の地元紙が取材に『最後までまゆちゃんを守ってくれよ。男なら最後まで守り抜けよ』と答えていましたが、羽生さんにとって最優先で守るべき存在は、自身であり家族だったということなんでしょうか」(別のスポーツ紙記者)
今回の「憤怒のメッセージ」は、そうした羽生のメディア嫌いの姿勢が爆発したものだったのだろう──ファンも報道関係者も、そう捉えている。だが、あるスケート関係者は別の思惑を推測する。
「もちろん、メディアへの怒りはあるでしょう。ただ、激しい言葉の裏には元妻の末延さんへの、正しくは“末延さんサイド”へのメッセージも含まれていたように思います」