中村雅俊(72才)は、俳優と歌手の“二刀流”で昭和、平成、令和にわたり第一線を走り続ける希有な存在だ。2024年は、4月に俳優、7月に歌手デビュー50周年となる節目の年。人生の転機となった作品や、これからについて聞く。第2回では、デビュー当時を語る【全3回の第2回。第1回から読む】
俳優になるきっかけは、慶應義塾大学で入部したESS(英語サークル)にあった。
「ESSにはスピーチ、ディスカッション、ディベート、ドラマの4セクションがあり、宮城から出てきた俺は『英語で芝居をするなんてハイカラだ』と、迷わずドラマを選びました(笑い)。
3年生のとき、毎年開催されていた他校と合同の英語劇大会で、初めて演者として舞台に立ったんです。親友が主役で、俺は電気工事人の小さな役でしたが、楽しかったんでしょうね。親友と『今度は日本語で芝居をしてみたい!』と盛り上がっちゃって」(中村雅俊・以下同)
そうとなったら劇団に入るしかないということになり、調べた結果、毎年研究生を募集していたのが文学座だった。
当時から、文学座には看板女優の杉村春子をはじめ、江守徹、北村和夫、太地喜和子などの名優がそろい、役者を目指す人々が憧れる劇団だった。
「そんなことも知らない俺たちは、役者になりたいのではなく、あくまで日本語の芝居がしたいという動機だけで文学座を受けたんです。飛躍がすごいでしょう!?(笑い)
結局、親友が試験をすっぽかしたので仕方なくひとりで受けたのですが、倍率は40倍以上。イケメンたちが『アー、エー』なんて発声練習をしている中で、『俺みたいな田舎者が受かりっこねえじゃん』と諦めモードで臨んだのに、なぜか通ってしまったんです」
1973年4月、大学4年生になると同時に文学座附属演劇研究所に入所した。その年の12月、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)のプロデューサーだった前出・岡田氏が文学座を訪れ、簡単なオーディションが行われたという。
「2週間後、文学座の人から『中村、お前、主役に決定だ』と言われてびっくり。『何で俺が?』ですよ」
それが、竜雷太(83才)、村野武範(78才)らが教師役で主演した『青春!』シリーズの後継作『われら青春!』だった。
「テレビに出たこともないから、テストとして『太陽にほえろ!』に一度だけ端役で出演させてもらっているんです。
1974年の年明けから『われら青春!』の撮影に入り、4月7日に放送開始。これが俳優としての本格デビューです。
さらに、『このシリーズの主役は歌も出すことになっているから、俊(中村の愛称)、次はレコーディングだぞ』と言われ、7月1日に挿入歌『ふれあい』で歌手デビュー。それもオリコンで10週連続1位と、大ヒットしてしまった。
文学座の受験から約2年間の俺って、すごくないですか!? この2年が、人生でいちばんラッキーな時期なんです(笑い)」
とんとん拍子のデビューの陰には、苦労もあった。
「経験がないのにいきなり主役。ヘタなのにやるしかない、という状況で、生徒役の俳優からは『あのダサい人が本当に先生役?』と言われるし、スタッフからは、『俊が何回NGを出すか賭けようぜ!』とからかわれました(笑い)。
それでも、スタッフは飲みの席で『俺たちで俊をスターにしてあげよう』なんて言ってくれるんです。『ちょっと、何言ってるんですかー!』とか軽口を叩きつつ、ウルッときましたねえ。
撮影が忙しくなったため、大学を中退するつもりでしたが、慶應の先輩でもある岡田さん【*1】が『絶対卒業しろ』と言って休みをくれ、卒業試験を受けることができた。周りに助けられながらの日々でしたね」
【*1/岡田晋吉:日本テレビのドラマプロデューサーとして『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』『俺たちの旅』ほか多数の作品を手がける】