にもかかわらず、昨今は「それ、いる?」と感じさせられる前置きが氾濫しています。コンプライアンスという言葉が必要以上に大きな顔をし始め、SNSなどで誰もが人のあら探しに熱心になった頃から、一段と目立つようになりました。
こうした前置きを付けないと安心できないのは、他人や社会に対して疑心暗鬼になっているからに他なりません。使えば使うほど、目に見えない「怖い何か」に脅える気持ちが増幅して、どんどん気持ちが萎縮していきそうです。
さらにタチが悪いのは、政治家が謝罪をするときに使いがちな「もし誤解を招いたとしたら」「もし気分を害されたとしたら」といった前置き。そこには、自分は本当は悪くないけど、そっちは勝手に誤解したり気分を害したりしたみたいだからいちおう謝るというスタンスが明確に感じられます。こんな言い方で謝っても、逆効果でしかありません。
政治家の悪い影響を受けてか、「もし~だとしたら」という前置きが付いた謝り方は、日常生活でもしばしば遭遇するようになりました。素直に非を認めて頭を下げるよりも、自分のプライドを守れた気になるからかもしれません。しかし、小さな効能と引き換えに、余計に相手を怒らせたり人としての信用を失ったりといった大きな代償があります。
「無意味な前置き」は、すでに社会の中で当たり前のものとなりました。もし撲滅できたら、さぞ風通しが良くて、常に何かに脅えることなく生きられる世の中になるでしょう。しかし、なかなか手ごわい存在であり、勢力が衰える気配はありません。
確実にできるのは、自分自身が「無意味な前置き」を使わないこと。そうすれば、無意味な心配やチンケなプライド捨てることができるでしょう。2024年の目標は「無意味な前置きを付けない」で決まりですね! もちろん、いろんな考え方があるとは思いますが(これは後ろに付けているからセーフ……じゃないですね。言ったそばからすみません)。