世界のエネルギーの主役が石炭から石油へと移りつつあった1960年代、日本国有鉄道(現在のJR)は蒸気機関車 (Steam Locomotive = SL)を次々と廃止、1975年12月に通常の営業運転が終え、以後、日本ではSLといえば特別なときに運行される列車となっている。その50年以上前に製造されたSLを2両も譲渡されたのが、岐阜県の恵那市や明知鉄道株式会社などで組織されるSL復元検討委員会だ。ライターの小川裕夫氏が、恵那から明智までの山あいを走る地方鉄道が、維持も管理も手間がかかるSLの旅客運転によって目指すものについてレポートする。
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2023年11月、岐阜県の恵那市・中津川市を走る明知鉄道は、沿線自治体や地元経済団体・住民とともにSL復元検討委員会を設立した。
「1973年まで明知鉄道ではSLが運行され、引退後に恵那市内の明智小学校や中央図書館で保存・展示されていたのです。市は、それらSLをJR東海から無償譲渡してもらい、現在は明知鉄道の明智駅構内で運転体験を実施しています。SL復元検討委員会では、そうした運転体験ではなく、実際にSLの旅客運転を目指しています」と話すのは、SL復元検討委員会で中心的な役割を担う恵那市の交通政策課担当者だ。
昨今、ローカル線をとりまく状況は厳しさを増している。鉄道が生き残るのには、何よりも利用者を増やさなければならない。利用者を増やすための施策はさまざまだが、蒸気機関車(SL)をはじめとする観光列車の運行に活路を見出そうとする鉄道会社は少なくない。
訴求力・集客力の低下と費用問題
SLは1960年代まで全国各地で走っていた。日本国有鉄道(国鉄)が動力の近代化に取り組んだことにより、地方で走っていたSLはディーゼル車やディーゼル機関車、都市圏では電車や電気機関車へと置き換えられていった。
黎明期から日本の鉄道を支えてきたSLは、国鉄の動力近代化によって次々と姿を消す。その過程で起こったのが、1970年代のSLブームだった。
1970年代のSLブームを体験した世代は、いまや50代から70代になっている。こうした世代にSL人気は支えられてきたが、静岡県の大井川鉄道をはじめJR西日本の山口線、JR東日本の磐越西線などでSLは定期的に運行され、さらに2017年には東武鉄道がSL大樹の運行を開始。これら各地でSL運行が続けられていることにより、ちびっ子からも絶大な人気を誇り、世代を問わず人気コンテンツとして認識されるようになっている。