伝説的な漫才師の長男にして、映画やVシネマで活躍する芸能界の暴れん坊が、長きにわたる独身生活に別れを告げた。父の墓前で愛を誓ったふたりが明かす家族の絆と電撃婚の一部始終──。
大阪府の市街地から車を走らせること30分。日本一の漫才コンビとうたわれた「やすきよ」の横山やすしさん(享年51)の墓石は、美しい山々に囲まれた広大な霊園の一角にたたずむ。毎年1月21日の命日には長男で俳優の木村一八(54才)や次女で芸人の木村ひかり(43才)をはじめ、親族が一堂に集まって故人をしのぶのが習わしだ。
《乱れることなく力をあわせ、われわれ親が築くことができなかった、「和」という城を築いてほしい》
生前、子供たちにそんな言葉を残していたやすしさんは、破天荒な生き様とは裏腹に何よりも家族のことを大事に思っていた。その木村家の「和」に今年から新しい一員が加わる。
「1月25日の一粒万倍日に、木村さんがかねて交際中のAさんと入籍する運びとなったのです。彼女は木村さんのひと回り年下で、一般企業に勤める会社員。女優の倉科カナさんに似ていると言ったら本人は謙遜していましたが、笑顔が素敵なとてもかわいらしいかたですよ」(木村の知人)
父の墓前で、手を合わせる木村。隣で線香を供えるAさんに向ける柔和な表情は幸せに満ち足りていた。
「出会いは昨年夏頃。映画関係の仕事をしているAさんの弟さんの紹介で、バーで一緒に飲んだことがきっかけでした。初めて木村さんを見たAさんは『本物だ!』と思ったそうですが、彼の方は会った瞬間に一目惚れ。その後は毎日のように電話やLINEで連絡を取り合い、交際に発展するまでに時間はかからなかったといいます」(前出・木村の知人)
墓参りを終えた木村を直撃すると、Aさんとの結婚を認めた上で「あとは事務所に聞いてよ」と話すのみだった。
伝説の漫才師を父に持つ木村が芸能界入りしたのは1983年。当時、中学生だった息子にやすしさんはこう釘を刺した。
「芸能界は厳しいところや。親の死に目に会えると思うなよ。一日じっくり考えや」
もっとも、大阪の実家を出て東京に行きたいと考えていた木村は「ぼく、やるよ」と即答。やすしさんのレギュラー番組や映画に出演し、父と同じ吉本興業(当時)に所属した。
「ブレークのきっかけは主演に抜擢された1985年のドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)。中山美穂さんとの共演が話題を呼び、アイドル的な人気を博したのです。歌手デビューも果たすなど“親の七光り”に頼らない活躍にやすしさんも目を細めていました」(芸能リポーター)