人品骨柄は窮地にこそ表れるといわれる。コラムニストの石原壮一郎氏が考察する。
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今日も政治の世界では、間違いを認めずに姑息な言い訳を繰り返す政治家たちの姿が見受けられます。政治家だけではありません。あなたの周囲にも「間違いを認めたら死ぬ病」にかかっている人がいるのではないでしょうか。
いわゆる「正義の活動」をなさっている方々も、その傾向が強くあります。悪者のレッテルを貼られた人を「許せない!」と糾弾して、あとからその人は何も悪くなかったとわかっても、あれこれ屁理屈をつけて自分たちの間違いを認めようとはしません。まして、迷惑をかけた相手に謝るなんて発想はカケラもなさそうです。
客観的に見ると、間違いを認めないことで得られるメリットは何もありません。ひじょうにみっともないし、辻褄を合わせようとして事態が悪化する可能性も大。プライドや立場を守ったつもりかもしれませんが、守るどころか周囲からは「チンケなプライドしかないヤツ」「信用しないほうがいいヤツ」というレッテルを貼られるでしょう。
それは重々わかっていても(わかっていない人もいますが)人は、いざ自分が間違いを指摘されると、言い訳したり逆ギレしたりといった愚かな反応をしてしまいがち。とくに部下や後輩に指摘されると危険です。女性から指摘されると過敏に反応するトホホな体質のおじさんも少なくありません。
逆に、そういう場面で素直に間違いを認めることができたら、「この人は、たいしたもんだ」と思ってもらえて一気に株が上がります。間違えるのは人の常。いつ誰に間違いを指摘されてもいいように、日頃から心の準備をしておきましょう。
ビジネスシーンでも日常生活でもありがちなのは、言葉の間違いです。プロジェクトのメンバーが集まったミーティングの場で「先方の反応がよくても、浮足立つんじゃないぞ」と言ったら、部下が「あの、言いづらいんですが、『浮足立つ』は不安や恐れで落ち着きを失っているときに使う言葉です」と指摘してきました。
自分では「嬉しいときに使う言葉」だと思い込んでいましたが、わざわざ指摘してくるぐらいなので、それなりに自信や根拠があるのでしょう。内心は「うるせえよ」とカチンと来るし、反発を覚えて「知識はあるのかもしれないけど、この状況で上司に指摘するのは人としてどうなんだ」と言いたくなるかもしれません。しかし、ここは踏ん張りどころ。
「えっ、そうなの! 言ってくれてありがとう。勉強になったよ」
こんなふうに素直に間違いを認めれば、そこにいるメンバーからの好感度や信頼は一気にアップするでしょう。「俺、いろいろ間違いそうだから、また気が付いたら言ってよ」と付け加えれば、さらに完璧です。
日頃からこうした事態を想定していないと、反射的に「意味が伝わればいいんだ!」と開き直ったりしてしまいがち。念入りにイメトレを重ねましょう。まさかと思いますが、「へいへい、そうでございますか。頭のいい人にはかないませんねー」とイヤミっぽく返すのは最悪。その場にいる全員に見切りを付けられます。