能登半島の震災で妻と3人の子どもを失った石川県警の警察官・大間圭介さん(42)。1月14日の告別式の様子を多くのメディアが報じたことで心を揺さぶられた人もいるだろう。激動の1か月を経て、思い出が詰まった自宅に戻りひとり過ごす大間さんは今、何を思うのか。ノンフィクションライターの水谷竹秀氏がレポートする。
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かつて子どもたちの遊び場だった6畳間には、妻子の骨箱と遺影が並び、花束やお供え物に囲まれていた。家族で1人生き残った大間圭介さんは毎晩、4人の笑顔の写真に向かって語りかける。
「今日はこんなことがあったよ。誰それからこんな話を聞いたよって。1日の出来事を伝えます」
圭介さんが喪主を務めた告別式には約800人が参列。あえてメディアの撮影も受け入れて取材に応じ、テレビや新聞で連日報じられた。心を痛めているなかで取材に応じた理由を、圭介さんはこう語っていた。
「葛藤もあったが、自分が何も語らなければ、“ある家族4人が命を落とした”という事実しか伝わらない。僕がメディアに出ることに対して、批判も当然あると思います。だけど、誰がなんと言おうと、妻と子どもたちの生きた証を知ってほしい」
事件や事故の遺族取材を続ける私もテレビでその悲痛な姿を見たが、家族全員がいなくなった今、その現実とどう向き合っているのだろうか。発生から3週間、圭介さんが暮らす金沢市の自宅に伺うと、冒頭のようにしみじみと語った。
妻の「家事」に感謝
圭介さんの妻、はる香さん(38)、長女の優香さん(11)、長男、泰介君(9)、次男、湊介君(3)は、珠洲市で倒壊した家屋と土砂に埋もれて命を落とした。地震の最初の揺れの後、周囲の様子を見ようと家を出た圭介さんだけが命拾いした。年末年始で、はる香さんの実家に帰省中の悲劇だった。はる香さんの祖父母は死亡が確認され、両親も依然行方不明となっている。
圭介さんが4人と対面したのは発生から4日後の1月5日。地域の公民館には、毛布にくるまれた遺体がブルーシートの上に並んでいた。
「最初に毛布をめくったのは妻でした。土砂に埋まっていたので圧迫され、顔が赤くなっていて……。片腕が曲がった状態だったのを、真っ直ぐに直してあげたんです」