「偽名のままでよかったのに……」
桐島容疑者が所属していた「東アジア反日武装戦線」は、反帝国主義や反植民地主義を掲げ、1970年代半ばに三菱重工ビル爆破事件など、未遂を含む12件もの連続企業爆破事件を起こした。桐島容疑者は1954年、広島生まれ。尾道市内の高校卒業後、東京の明治学院大学に入学し、在学中に左翼活動に傾倒して同戦線に参加した。
「高校時代は真面目で目立たないタイプだったそうです。大学進学後、日雇い労働者たちの闘争に共鳴した友人に誘われる形で運動に足を踏み入れたとされています」(前出・警察関係者)
そして1975年4月に東京・銀座の韓国産業経済研究所の入り口付近を、手製の時限爆弾で爆破した疑いで同年5月に指名手配された。
「桐島容疑者は逃走直前まで新宿歌舞伎町の大衆料理店でアルバイトをしており、広島の実家に電話をかけて『岡山に女と一緒にいる。金を準備してくれないか。国外逃亡も考えている』と父親に伝えたのを最後に足取りが途絶えた。以降、50年近くにわたる潜伏期間は、警察庁による重要指名手配容疑者の中で最長です」(前出・警察関係者)
その後、警視庁は連続企業爆破事件で9人を逮捕したが、一度も逮捕されず、生死も行方もわからない唯一のメンバーが桐島容疑者だった。なぜ、彼だけが逃げ延びたのか。囁かれるのが「マニュアル」の存在だ。「東アジア反日武装戦線」は、思想や活動家としての心構えを記した「腹腹時計」という冊子を独自に出版、配布している。
「そこには、爆弾作りなどを指南するだけでなく、『近所づきあいは浅く、狭く。ただし近隣との挨拶は不可欠』『普通の生活人であることに徹する』『生活時間を表面上、市民社会の時間に合わせる』『極端な秘密・閉鎖主義は墓穴を掘る』など、潜伏活動を行う上でのマニュアルが記されていました。桐島容疑者はこのマニュアルを遵守して一般市民を装い、半世紀にわたる潜伏生活を誰にも気づかれることなく乗り切ったようです」(前出・警察関係者)
「潜伏マニュアル」に従い、勤務先の同僚とは“浅く、狭く、挨拶を欠かさず”の交流で時には冗談を言い合ったようだが、心の底には常に影があったはずだ。自身の余命を悟った男は「最期は本名で迎えたい」との願いから、病床でついに長年隠し通した本名を口にする。
「今回、身柄確保からわずか4日で桐島容疑者と名乗る男は死亡しました。DNA鑑定も完了しないままで、捜査は進まず、逃走に協力した者の存在も明らかにできませんでした。爆破事件の犠牲者の遺族からすれば『本名で死にたい』との男の最後の望みはあまりに身勝手ですし、警察が得るものも少ないバッド・エンドと言っていい。
取材に応じた男の親族も『50年も逃げ続けたなら、偽名のままでよかったのに』と吐き捨て、遺体の引き取りも拒否しているそうです」(前出・社会部記者)
本名だけでなく思想も隠し続けた50年。桐島容疑者は何と闘い続けていたのか。
※女性セブン2024年2月15日号