「令和バブル」とも呼ばれるほどの株価上昇が続く昨今。日経平均株価は“4万円台も見えてきた”と言われるが、「バブル時代の狂乱ぶりにはまだまだ及ばない」と話すのは演出家のテリー伊藤氏だ。とりわけ温度差を感じるのがテレビの世界だという。予算は桁外れ、いまのようなコンプライアンスへの厳しい声も少ない時代。それゆえに現在では考えられないような企画が連発された「バブル期の番組制作現場」をテリー氏が振り返った。
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なんといっても、あの時代はカネがあったからね。テレビ業界も華やかで。海外ロケでニューヨークからロンドンに移動する際、スタッフ全員で超音速飛行機のコンコルド(片道 約100万円。現在は廃止)に乗ってましたから。機内がVIPルームみたいでした。バカバカしい派手さがあったんだよね。200万~300万円の制作費で深夜番組を2本撮りするような、いまのテレビ制作現場とは世界が違いますよ。僕が総合演出をやった『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(1985~1996年、日本テレビ系)だって、スポンサーがカネ持ってたもん。
企画も無茶ができましたね。「元気が出るテレビ」は素人さんもバンバン参加させました。たけし軍団以外の芸人は頼れないから、一般人を巻き込んでいかないと長続きしないんですよ。そこから物怖じしない面白い素人さんが増えていったんです。彼らの力を引き出したのが高田純次さんや兵藤ゆきさん。インタビュー能力が高くてね。台本はきめ細かく作っていましたけど、台本以上に持ち味を引き出してくれたのが高田さんとゆき姉です。
制作現場のネタ出しは戦場で、「もっと面白いことを」「もっともっと面白いことを」って、熱量が全然違った。コンプラの概念が全然なかったから、いまじゃ考えられないようなメチャクチャな企画がまかり通ってました。ホームレスの方を登場させて人権団体から怒られたり、たこ八郎に東大生の血を輸血させたり。医師の団体からクレーム入りましたよ。メスライオンを麻酔薬で寝かせてトラ柄にしたこともあった。よくサファリパークがやらせてくれたよね。あと、熱川バナナワニ園ではワニにワニ皮のベルトを締めさせたっけ。