米国の名門・ボストン交響楽団やオペラ界の頂点、ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた“世界のオザワ”がこの世を去った。音楽を愛し、音楽に愛されたマエストロは、病との闘いの中で家庭内に生じた“不協和音”に何を思っていたのか──。
《生前、父・小澤征爾がお世話になりました。音楽を愛し、音楽に愛された人生でした》
2月6日に心不全で亡くなった世界的指揮者・小澤征爾さん(享年88)の訃報を受け、長男で俳優の小澤征悦(49才)は父の信念を胸に刻んで生きていく覚悟を明かした。日本を代表する指揮者にして、海外の名だたるオーケストラで活躍したマエストロの死に世界中が涙した。
「2002年に征爾さんが日本人として初めてニューイヤーコンサートの指揮台に立ったウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は《50年以上、信じられないほど幅広いレパートリーを演奏してきた友人であり音楽のパートナー》と追悼。ボストン交響楽団は《伝説的な指揮者であるだけでなく、次世代の音楽家たちの情熱的な指導者でもあった》と生前の功績をたたえました」(音楽担当記者)
征爾さんが最後に表舞台に姿を見せたのは昨年9月。長野県松本市で行われた音楽祭「セイジ・オザワ松本フェスティバル」の舞台だった。車いすでステージに上がった征爾さんは観客だけでなく舞台上の演奏家からも万雷の拍手を浴び、うれしそうな表情を浮かべていたという。征爾さんにとってこの十数年は病との壮絶な闘いの日々だった。
「2005年に白内障の手術を受け、2010年には食道がんが見つかり、治療に専念するために1年近く活動を休止しました。その後も2015年に腰の骨を折る大けがを負い、2018年には大動脈弁狭窄症の手術を受けるなど満身創痍。指揮台に立つことが困難な状態が続き、楽団員やファンも征爾さんの体調を心配していたのです」(音楽関係者)
病によって表舞台から遠ざかっている間も、征爾さんが音楽への情熱を失うことはなかった。
「療養中のベッドの上でも、常にオーケストラのことを考え、指揮棒は振れなくても現場にいることを強く望んでいたそうです。征爾さんと親しいバイオリニストが言うには『同じ空間にいるだけで、心の中に何かが触れて、ビリビリとした感覚がある』のだとか。いみじくも仏紙フィガロが征爾さんを《クラシック音楽の魔術師》と評していましたが、タクトを振らずとも演奏に命を吹き込む“魔術師”のような人でした」(前出・音楽関係者)
征爾さんが最後に指揮を執った公演を見た別の音楽関係者が語る。
「2022年11月、征爾さんが総監督を務めたサイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)とJAXA(宇宙航空研究開発機構)が共同で企画したコンサートが無観客で行われ、その様子が生配信されました。征爾さんが力を振り絞ってベートーヴェンの『エグモント序曲』を指揮する姿は圧巻。宇宙ステーションに滞在中の若田光一宇宙飛行士に向かって『ありがとう』と呼び掛ける場面は胸に迫るものがありました」