おさむは当時を「自分中心に地球が回っていると勘違いしていた」と振り返る。
「すごい本数の番組に出ていましたからね。NHKから民放まで、チャンネルを回したら、どこかで自分たちが映っているような感じでしたよ」
1日20本近い仕事をこなしたこともあるというほどの過密スケジュールにヘリコプター移動も2回経験したという。
彼らは歌も歌った。デビュー曲『恋のぼんちシート』は80万枚の大ヒットとなり、1981年7月、漫才師として初めて武道館ライブを開催し、大成功を収めた。この金字塔は、漫才ブームを象徴する出来事として今も語り草になっている。まさとは恍惚とした表情を浮かべる。
「今もあのときの光景は目に焼き付いています。1万2800人も入ってたんですよ。天下の澤田隆治さん(漫才ブームを仕掛けた名物プロデューサー)がアリーナ席から3階席までの画を順々にカメラで撮っててね。満足げな顔をしていました。漫才師がここを満員にしたんだぞ、と」
1万本以上のペンライトが揺れる武道館は、漫才師が時代をつくった証でもあった。
(後編に続く)
【プロフィール】
中村計(なかむら・けい)/1973年、千葉県生まれ。ノンフィクションライター。著書に『甲子園が割れた日』『勝ち過ぎた監督』など。近年はお笑い関連の取材・執筆を多く手がける。趣味は落語鑑賞。近著に『笑い神 M-1、その純情と狂気』。
※週刊ポスト2024年3月1日号