読み始めは少々戸惑う。だがいつしかその文字列が体の奥の方で同期を始め、心地よく身を委ねるうちに、彼らの傷や痛みや鼓動すら愛してしまっているという、何とも不思議な読書体験を、大田ステファニー歓人氏の第47回すばる文学賞受賞作『みどりいせき』でした。因みに表題は「みどり」? それとも「みどりい?」
「あ、そこも含めて好きに読んでくれると嬉しいです。まあ作者としては、『赤は赤いなのに、なぜ緑は緑いじゃないの?』って言ってた友達がいたから生まれた題だけど、それがダブル、トリプルミーニング的に後からなっていったんで、平仮名にしてホントよかった(笑)」
主人公は授業をサボり、〈あたらしい季節に浮き足立つ人はみんな桜が好き。散ると悲しむ。だから環境にやさしくない人類への復讐として、遠い地球の裏側にあるキャベツ畑のモンシロ蝶は〉なんてことを考えて屋上で時間をつぶす、高校2年生の〈僕〉、桃瀬翠。
そこにクラクションが鳴り、階下を覗くと、佐川の軽と睨み合う〈制服のスカートの下に赤ジャージを穿いた生徒〉が。実はこの〈赤は三年の学年カラー。彼女の足元に転がっている青のペニーはまわりの風景の中でひときわ濃い〉と描かれる人物こそ、僕がかつて女房役を務めた〈春〉だった。
この1つ年下の幼馴染が青いスケボーで颯爽と現われる場面や、ジャージの色に惑わされ、なかなか春だと気づけない僕の鈍さ。歌が抜群にうまい〈グミ氏〉や嘘が大嫌いな〈ラメち〉といった友人達まで、純粋で危なっかしくて、だからこそかけがえのない、現物を読んでこその青春譚である。
大学卒業後は何を書くでもなく「2年くらいフラフラしていた」という大田氏。
「日記も書いたりしたんすけど、ほとんどが酒飲んで仕事行ってみたいな感じで。だから1作目は本当に何も書かないまま体当たりして、惨敗して、何とか2作目で賞をいただけた感じです。今思うと、最初の作品は作者の主張とかをどこまで入れていいかも分かんないし、それを誰かにそのまま喋らせるみたいなメッチャ安易なやり方をしてたんですよね。
考えてみれば自分だって、本の中身を何度も反芻して、それでようやくわかる作品に刺激を受けてきたよなって。だったら話もやっぱ面白い方がいいし、自分の思いは雰囲気として伝わればいいやって気持ちに変わったのが、一番大きいかもしれませんね。読む側への信頼が生まれたっていうか」
先述の鮮やかな登場シーンの後、僕は放課後の教室でスマホを弄るグミ氏達に話しかけて見事無視され、代わりに金の喜平ネックレスに眉ピアスの〈鳴海先輩〉から、〈予約の人?〉〈二千でいいよ〉と、意味不明なことを言われる。そこに現われたのがかつて自分にしか捕れない荒れ球を投げた春だった。が、本来緑ジャージの春は昔の話をしたくないらしく、怪しげな菓子を都内各所に配達する彼らの〈ディール〉にも、僕は何も知らないまま巻き込まれていくのである。