脱退の際、千葉さんは「真田」という芸名を返すように強く求めたが、真田はそれを拒否。以来、千葉さんとは絶縁状態になった。
恩師とたもとを分かった後の真田は1993年のドラマ『高校教師』(TBS系)や映画『僕らはみんな生きている』(1993年)などで俳優として確たる地位を築くことになるのだが、ずっと胸の内では千葉さんとの「絶縁」が引っかかっていたという。
「真田さんにとって、やはり千葉さんは自分を見出してくれた師匠であり、憧れの存在。特に、“世界で通用するアクション俳優になる”という大志を抱いて、実際に『サニー千葉』としてロスに拠点を移して活躍した千葉さんの熱い俳優魂には影響を受け続け、真田さん自身ものちにハリウッドに渡ることになりました。
それでも、千葉さんが2021年8月に新型コロナによる肺炎で亡くなるまで、真田さんは千葉さんと交わることは一切なかった。千葉さんの死後、お別れ会の発起人になりましたが、時すでに遅し。千葉さんとの和解は永遠に果たせなくなった」(芸能関係者)
真田が今回、『SHOGUN』で凱旋帰国し、「やっと“初めの一歩”を踏み出せました」と語ったのは、師の背中に追いついて恩を返すことができた、という思いもあったのだろう。
(後編へつづく)
※女性セブン2024年3月14日号