漫才協会外部理事である高田文夫氏が「東京漫才について語ろう」と呼び掛け、第七代漫才協会会長のナイツ・塙宣之氏と芸能研究家の神保喜利彦氏が応じた。1960年代に活躍した晴乃チック・タック、Wけんじ、1950年代から1980年代にかけて活躍した獅子てんや・瀬戸わんやらの人気ぶり、その芸について語り合った。【全3回の第2回。第1回から読む】
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高田:晴乃チック・タックはアイドルだったよ。
塙:かっこよかったんですか?
高田:チックは背が高くてかっこよかった。で、タックのほうは小さくて、かわいらしかった。
塙:二枚目がツッコミ?
高田:そう。タックが、「いいじゃな~い」ってボケて、鼻の穴広げて「どったの?」って訊くんだよ。赤ちゃん言葉みたいな感じで。そしたら、女の子がキャーッって。『平凡』『明星』の表紙に出たりしてたのよ。
神保:三波春夫と割看板したっていうぐらいですからね、歌舞伎座で。
塙:漫才としても面白かった?
高田:うまいんだよ。話芸としても達者だった。
神保:二人ともチャキチャキの江戸っ子なんです。
高田:チックは早世しちゃったけれど、タックはその後の高松しげお。青島幸男の後に『意地悪ばあさん』やったし、今でも時々役者で出てくる。で、チック・タックと並ぶ大スターがWけんじだったの。
神保:どちらも流行語をつくるのがうまかったですね。
高田:ダチョウ倶楽部が「バカだなっ!」ってやる。あれはもともとWけんじがやってた。
神保:『大正テレビ寄席』をはじめ、当時、演芸番組がいっぱいあったんですよ。子どもたちもみんな見ている。
高田:お茶の間全員で一緒に笑ってるんだから。