山田麗子名義で作詞した曲で紅白にも出場している(初コンサートの様子)
当選後はタレント活動を完全封印
子供の頃から芸能界で活躍してきた三原はなぜ、政治家に転身したのか。2008年に子宮頸がんを患った彼女は、『女性の健康と命を守る』と決意して2010年の参議院議員選挙に自民党から出馬。公約に子宮頸がん予防ワクチン接種の無料化、介護行政の見直しなどを掲げていた。
「前年の衆議院議員選挙で、民主党が大勝。自民党は惨敗し、政権交代が起こっていました。この参院選では民主党から谷亮子、池谷幸雄、桂きん枝、庄野真代、岡部まり、原田大二郎、自民党から堀内恒夫、石井浩郎、田島みわ、たちあがれ日本から中畑清、国民新党から敏いとうなど、元スポーツ選手やタレントの候補が乱立しました。この中で、当選したのは石井、谷と三原の3人だけ(堀内はのちに繰り上げ当選)。三原は野田聖子衆議院議員に政界への熱い想いを語って出馬の権利を得ています」(政治記者)
柔道との両立を公言した谷に対し、三原は「当選したらタレント活動はしない」と宣言。ライバル心をむき出しにしていた。選挙前のスポーツ紙のインタビューでは自らの決め台詞を文字ってアピールしていた。
〈ヤワラちゃんに挑戦状をたたきつけます。ちゃんと政策について討論したい〉
〈ヤワラちゃんが柔道着で来てくれたら、私は30年ぶりにセーラー服で応じますよ(笑い)。ケンカ上等って感じで。『顔はやめな、ボディーにしな』じゃないけど『ヤワラはやめな、じゅん子にしな』って感じ。あ、ヤワラ『ちゃん』にしといて〉(2010年6月17日付・スポーツ報知)
谷の議員生活は1期のみだったが、三原は3期目に突入。2016年には秘書を務めてきた24歳年下の男性と再々婚した。当選後のタレント活動は、歴代の卒業生が集まった2011年3月の『3年B組金八先生・ファイナル「最後の贈る言葉」』に出演したのみで、宣言通り政治家一本を貫いている。