昭和の時代では、地上波のテレビでお色気要素が登場するのが当たり前だった。コンプライアンスが厳格となった現代では“不適切にもほどがある”内容であることは間違いないが、家族の目を盗んでテレビにかじりついた思い出がある人も少なくないだろう。いまや幻となった番組の数々を振り返る。【前後編の前編。後編を読む】
昭和の“不適切さ”を現代の視点で描いた宮藤官九郎脚本のテレビドラマ『不適切にもほどがある』(TBS系)がもっぱら話題だが、バブルに浮かれた時代、テレビにはお色気シーンが溢れていた。作家・コラムニストの泉麻人氏は、実家のテレビで『11PM』(1965年11月~1990年3月/日本テレビ系)をこっそり観ていた。
「当時の実家はテレビが1台しかなく、しかも茶の間にあったので、親が寝るのを見計らってこっそり観ていましたね。バニーガールの太ももを舐めるような撮り方にドキッとした覚えがあります。80年代後半にテレビのリモコンが普及してザッピングできるようになると、番組もお色気シーンで視聴者を釘付けにして、チャンネルを変えさせない作りになっていったんです」
深夜番組の革命児として1965年にスタートしたのが『11PM』だ。
「テレビでストリップ劇場など性産業を紹介した先駆けでした。男の娯楽がキーワードで、セクシーに限らずスポーツからギャンブルまで様々なジャンルを扱いました。特に大橋巨泉が司会の回は、お色気な内容も多かった。巨泉がアシスタントの朝丘雪路の巨乳を“ボイン”と表現して、ボインという言葉が全国に広まりました。今ではセクハラになりますけどね(苦笑)」(泉氏)
『11PM』の名物企画の一つが、火曜日の「秘湯の旅」。“うさぎちゃん”と呼ばれる女性レポーターがほぼ全裸で登場した。温泉に浸かりながら、上半身を水面から出し、プラカードを持って「泉質は~」「効能は~」と紹介するコーナーだった。
先行する『11PM』を追いかけるように1970年代にスタートしたのが『23時ショー』(1971年4月~1973年12月/NET系)、『ぎんざナイト・ナイト』(1972年10月~1974年/TBS系)、そして『独占!男の時間』(1975年4月~1977年3月/東京12チャンネル)だ。
『男の時間』は司会を山城新伍、アシスタントを女優の長谷直美が務めた生放送番組。「全国素人ストリップ選手権」や「大人のおもちゃ特集」など際どいコーナーもさることながら、上半身まる出しの半裸女性たちがスタジオ内を歩き回るという過激な作りで、当時の日本共産党・宮本顕治委員長が『11PM』と『男の時間』を名指しで批判したほどだった。