元横綱・白鵬(現・宮城野親方)が親方を務める宮城野部屋において、幕内の北青鵬による後輩に対する暴力が発覚。北青鵬は引退届を提出し、白鵬は監督責任を問われ、3か月の報酬減額に加えて、親方への懲戒としては、解雇、退職勧告の次に重い処分である「2階級降格」が科された。そして、現在大阪で開催中の春場所の千秋楽後に、宮城野部屋が閉鎖されるのが濃厚だ。まさに土俵際に追い詰められた白鵬だが、その裏には根深い相撲協会との根深い因縁があった──。【前後編の後編。前編を読む】
現役終盤になるにつれ深くなっていった協会との溝
かつて白鵬は、相撲界の「優等生」と呼ばれていた。
「モンゴルから一緒に来日した6人の力士の中では、体格も細く、目立たない存在でした。それでも大横綱として偉業を成し遂げられたのは、稽古に取り組む真面目さ、謙虚さ、忍耐強さがあったからです。かつては注目もされず、苦労した経験から、優しさや義理人情もあり、弟弟子などからも慕われていた」(ベテラン相撲記者)
ところが、現役終盤になるにつれ、白鵬と協会との溝が深くなっていった。
「現役時から白鵬は、理事長として相撲協会のトップに立ちたいという野望があるといわれてきました。悪しき慣習にとらわれてばかりの、相撲界の改革に乗り出そうとしていたのです」(前出・ベテラン相撲記者)
以降、白鵬の土俵上での振る舞いには、何かにつけて“物言い”がつくようになった。
「立ち会いで変化をしようものなら“横綱らしくない”。かち上げを食らわせたり、土俵を割ったあとに土俵下まで突き落とすダメ押しといった振る舞いにも、“資質を疑う”と、協会内からの批判の声は大きかった」(前出・ベテラン相撲記者)
溝を決定的にしたのは、白鵬の引退時の「親方就任」の経緯だ。
「大相撲の世界で、親方を名乗って自分の相撲部屋を開くためには、105ある『年寄(としより)株』という権利を持っていなければなりません。この年寄株の取得にはさまざまな条件がありますが、その1つに“日本国籍であること”があります。
ところが白鵬は、圧倒的な成績を残すことでそうした規定を超えて、日本国籍を取得せずに権利を得られないか模索していました。自身のモンゴルのルーツを残したいという思いがあったようです」(大相撲担当記者)