《I was fighting when the police came(警察来たときタイマンしてた)》、《Should I steal that bike?(あそこのバイク盗んでええかな?)》。パンチの効いた“例文”を流暢に話し、「できなかったら根性焼きだかんね!」と視聴者をにらみ付ける。異色すぎる「元ヤンメソッド」の発信で注目を集めているのは、英語系YouTuberのHinaさん(22才)。不敵に笑う彼女は、慶應義塾大学経済学部に通う才女かつ、ハタチにして「TOEIC満点」「英検1級」をもぎとった“英語脳”の持ち主でもある。ジャージー姿で駆け抜ける「令和のビリギャル」の半生を直撃してみると──。
「実は私、いままでに何度も学校をドロップアウトしかけているんです。昔から集団生活になじめなくて……」(Hinaさん・以下同)
そう話す彼女の生い立ちをひもとくと、恵まれた家庭環境だったがゆえの“苦悩”が見えてきた。最初の苦い思い出は、5才の頃。父親の転勤に付いてカナダ・バンクーバーへ移住し現地校に入学したものの、仲間はずれにされた。
「『お弁当のおにぎりや焼きそばが気持ち悪い』ってバカにされて。当時は英語がわからないから、反論もできず本当に悔しかった」
苦境の中、必死で周囲になじもうと努力し、少しずつコミュニケーションが取れるようになってきた矢先、再び父親の仕事の都合で日本に帰国することになる。
「結局、カナダにいたのは3年間。慣れてきた頃、また環境が変わって。しかも日本の先生は1つの価値観を押しつけてくる人ばかりだし、1才しか違わないのにやたらと偉そうな先輩もいる。全然肌に合わなかった(苦笑)」
違和感を覚えながら何とか中学までは卒業したものの、高校に入学して以降、本格的にグレていく。
「飲み屋で悪い先輩たちと知り合って、平日の夜は毎晩地元のクラブに出入りしてイキり散らかして、チンピラの道まっしぐら。高2に進級してちょっと経った頃、集団で喫煙していたことがバレてついに停学になったんです。
母は『どうしてそんなことをするのかわからない。昔はあんなにいい子だったじゃない』とめっちゃ泣くし。それまでは何を言われても『うるせえ、ババア!』と反抗していたけれど、さすがに胸が痛くなりました。いま振り返ると、日本になじめない自分が嫌で、悪いことをしてでも目立って、存在を認めてほしかったんだと思う」
教師はHinaさんを「反省の色なし」と見なし、当初は1週間の予定だった停学は無期限となった。
「しかも、本当は違ったのに勝手に“主犯”に仕立て上げられていて。そのことに腹が立って、許せなくて、先生たちが手の届かないようないい大学に行って見返してやろうと思った。ちょうど停学中で暇だったときに偶然、映画『ビリギャル』を見て“カッコイイ! ウチも頑張れば、慶應に行けるかな!?”って、慶應を目指すことにしました」
慶應の試験は英語と小論文がメイン。勉強時間のほとんどは英語に充てられた。
「よく『帰国子女だから英語、当たり前にしゃべれるんやろ?』って言われたけど、使う機会がなかったら、ほんまに忘れます。実際、慶應に行く子なら満点近くとれて当然のセンター試験の点数も、最初は4割行くかどうか。だから、ネイティブの発音をひたすら真似しまくる『モデリング』とか、あらゆる方法を試しながら独学で1日12時間の勉強を1年間続けました」
その結果、TOEICは300点台から800点台に、センター模試はほぼ満点をとれるまでになり、見事慶應に合格。しかし、そこでも再び壁に直面することになる。
「学生寮に入ったものの、友達もできないし“期待していた生活と違う、何だかつまらない”って全然行きたくなくなってしまって、それから2年間、またクラブに入り浸って留年。どう説明したらいいかわからなくて、親からの連絡もフル無視していました」
見かねて上京してきた母親は、Hinaさんのあり様を見て、号泣した。
「母の2度目の涙を見て目が覚めました。ちょうどその頃、クラブでつるんでいた仲間が警察沙汰になって、せっかく努力して大学に入ったのに、自分は何をやってるんだろうと冷静になった。その日から夜遊びは一切しなくなりました」