今から30年前の1994年5月1日、レース中の事故で34年の生涯を閉じたアイルトン・セナ。無類の強さを誇ったマクラーレン・ホンダ時代の走りが巻き起こした日本のF1ブームの熱狂を振り返る──。【前後編の前編。後編を読む】(文中敬称略)
セナ・プロ体制で16戦15勝と圧倒
アイルトン・セナがマクラーレン・ホンダに移籍したのは、F1ドライバーとして5年目のシーズンとなる1988年のことだった。この年、28歳のセナはチームメイトのアラン・プロストと熾烈な戦いを繰り広げ、16戦中8勝、ポールポジション13回という記録でワールドチャンピオンを獲得。マクラーレン・ホンダは16戦15勝という圧倒的な強さを見せた。
ホンダのF1広報渉外マネージャーとして、マクラーレン・ホンダのチーム運営に携わった野口義修が当時を振り返る。
「僕が初めてセナに会ったのは、彼がロータスに在籍していた1986年のことでした。セナはロータスにホンダエンジンを搭載することを熱望しており、そのとき、翌年から新しくチームメイトになる中嶋悟さんがどんな人かを聞かれました。『ホンダエンジンを熟知している人だよ。君にとっても大きなメリットになると思う』と言うと、セナが『うん、わかった』と頷いたのを覚えています」
セナは同世代であるホンダのエンジニアやメカニックの一人ひとりと真摯に向き合い、ときには友人のように交流を重ねながらレースを戦っていた、と野口は回想する。
レースでは常に自己の技術やマシンの精度に完璧であることを求めたセナについて、野口には今も強く印象に残っている記憶がある。それはマクラーレン・ホンダ時代、日本グランプリの際のオフの時間に、河原で趣味のラジコンヘリを楽しむ彼の姿だ。
「セナはラジコンの操縦も抜群に上手く、同行した熟練者が『世界でもベストテンに入るかも』と驚いていたくらいでした。ホンダのスタッフとその時間を楽しむ彼は、本当にお茶目でリラックスしていました」