4月1日から始まる連続テレビ小説『虎に翼』のモデルとなった三淵嘉子。彼女は法曹界の狭き門をくぐり、女性初の法律家の一人として時代を切り開いてきた先駆者だ。彼女が直面した数々の障壁や私生活の素顔などについて、関係者に取材した。
三淵嘉子は、1940年から弁護士として活動し、1949年に裁判官、1972年には新潟家庭裁判所で女性初となる裁判所長に就任した。嘉子は5000人超の少年・少女の審判を担当し、多くの非行少年・少女らを指導して立ち直りを支援してきた。かくして女性に法曹の道を切り開いた嘉子だが、そのスタート地点となる司法試験合格までは多くの障壁があった。
『虎に翼』の法律考証を務め、主演を演じる伊藤沙莉に講義を行った明治大学史資料センター所長の村上一博さんが話す。
「1つは、周囲の目。当時、いまでいう司法試験を受けるには、大学の学部在学生か卒業生などの条件がありましたが、そもそも尋常小学校卒業後、高等女学校に進む女子はごく一部。戦前の女性の結婚適齢期は18〜20才くらいでしたから、高等女学校在籍中に婚約してお嫁に行くことがスタンダードでした。
ですから女学校を卒業し、さらに大学に進学すること自体、とんでもないことだったんです。三淵さんの母も、『お嫁に行けなくなる!』と泣いて反対したそうです」(村上さん・以下同)
周囲の反対を振り切って法曹界を志した嘉子は、1932年に東京女子師範学校附属高等女学校(現・お茶の水女子大学附属高等学校)を卒業すると、明治大学専門部女子部法科に第4期生として入学。1935年に卒業して同大法学部に進学した。
「当時、女性が法律を学ぶことは認められておらず、法律は男性の専有物でした。しかし、時は大正デモクラシーの真っただ中。さらに、弁護士法の改正(1936年施行)を見越し、明治大学専門部女子部法科が1929年に開学。女性が法律を学べる唯一の学校ができたのです。
しかし、せっかく女子部に入っても、法学部卒業に至る生徒は少なかった。家庭の事情や勉強の難しさなどで次々脱落していきました。かろうじて法学部を卒業しても、司法試験に受かるのは男性だけでした」