昨今、日本の伝統的な祭りの存続に変化と危機が訪れつつある。若者が馬に乗って壁を乗り越える三重県の「上げ馬神事」は動物虐待として炎上し、ふんどし姿の男たちが麻袋を奪い合う岩手県の「蘇民祭」は担い手不足から1000年以上続く歴史に幕を閉じる──。価値観の移り変わりや人口減少から多くの祭りが形を変えるなか、コロナによる休止を乗り越え、4年ぶりに開催された“奇祭”があった。「御神体」に女性がまたがり安産を祈る、新潟県の「ほだれ祭」だ。
この祭りの舞台は新潟県長岡市栃尾の山間部にある村、下来伝。過疎化が進み、人口は現在50人の“限界集落”だ。「ほだれ祭」は1980年に始まった祭りで、「御神体」の上に栃尾に嫁ぎにきた女性「初嫁さん」を載せて担ぎ、安産を祈る。始まった当時から「越後の奇祭」と呼ばれているが、その御神体は見まごうことない「男性器」だ。
「来る人みーんな笑顔ですよ」
なぜご神体がそれなのか。ほだれ祭実行委員会の星野清さん(70)によれば、こんな言い伝えがきっかけだったという。
「村の中心部にある御神木『下来伝の大杉』は、大昔は夫婦杉だったそうなんです。でもある時、雷に打たれて男杉が倒れ、女杉だけ残った。それ以降、村の男性の事故死や病死が増えたんですわ。
どうしたものかと村人たちが頭をしぼり、この地域に盛んな米栽培の時に見られる『穂垂れ』と『男根』はなんだか似ている……と思ったんだかどうだか、ほだれ様と称した男性器を模した石像や木像を作って女杉の周りに祭ったら、次第に災厄が止んだと。俺らはそんな言い伝えを小さい頃から聞いてたもんで、何か村おこしとなるようなことはできないかと考えていたんです」
星野さんは20歳の頃、村で青年団を発足。その青年団の活動は当初、月1回の定例会と称した飲み会や年一回の旅行などを行うことだったという。が、「酒飲むだけじゃ村には何も残らない」ということで、村に人を集める祭りの計画を立てたという。
「まあ、その話し合いもまた酒飲みながらというのもあって、気も大きくなりますわ。誰が言い出したか“日本一大きいほだれ様を作ろう”という話になったわけです。大杉を使って2年かけて男根型の木像を作りました。
最初は嫁さんを『御神体』には乗せず、若い男衆がまたがって集落内を巡回し、途中で女性を乗せたりしたんです。その後、どうせなら村に来る嫁さんを迎え入れるようにして乗せようとなり、神輿のように担ぐようになった。その1回目の初嫁さんが、俺の嫁さんなんだけどね(笑)」
祭りは深夜のお色気番組やNHKにも取り上げられ、瞬く間に全国的に有名な奇祭に。年を重ねるごとに参加者は増え、最盛期は2000人近くの人が訪れ、全国各地から「初嫁として『御神体』に乗ってみたい」という問い合わせが入るようになった。その後は村に嫁ぎにくる女性以外も“初嫁”として、多い時には5人から7人の女性を受け入れ、ご神体に乗せて担いだという。
何かと炎上が多い昨今、女性をまたがらせることに「不謹慎」などといった声などが届くことはないのか。星野さんに聞くと、笑顔でこう答えた。
「そんなの、俺らも不謹慎だなんて思っていないし、クレームのような連絡も一度も入ったことがありません。なにより、来る人みーんな笑顔ですよ」