が、その所持品は衣類や僅かな小銭の他、制服姿の少女の写真が1枚あるだけで、保険証も偽名だった。一方草鹿宅からは供述通り、父親の腐乱死体が発見され、無職で引きこもりの48歳が75歳の父親を殺害したこの「8050事案」と併せて老女の身元を追う捜査員の間にも、いつしかフラワーさんの呼称が定着していく。
「8050の何が問題かといえば、1つは人数が多いことと、僕ら団塊ジュニアの多くが就職氷河期という、若者であることが最も苦しかった時代の躓きを抱えたまま、やり直すのも難しい年齢を迎えつつあること。というと、かつてそんな世代がいたらしいねって、昔話にされちゃうんだけど、今でも生きてますから。株高が進んで求人が格段に増えた今も、現在進行形で。
だから人を殺していいとはもちろん言わない。でも少なくとも僕はこれを自分の問題だと思って書いたし、いわゆる社会問題をただの社会問題として捉えると、社会派ミステリーって逆に書けない気もするんです」
テーマを一言で言えば不可視化
やがて推定70代の老女の過去を探る奥貫は、かつて彼女が娘をよくあの公園で遊ばせていたことや、その娘と同じ名前のスナックで雑用を頼まれ、僅かな生活費を得ていたことを知る。また、その偽造の保険証の背後に、年金や生活保護費目当ての〈囲い屋〉や、親の依頼で子供を預かり、再教育する〈引き出し屋〉の存在をも嗅ぎとる。そして、人の不幸や貧困すらビジネスになる時代の、草鹿もまた犠牲者といえた。
「今回は彼の半生や風俗をきっちり描く一方、奥貫のパートでは謎を結構複雑に作り込みました。テーマを一言で言えば不可視化です。家に引きこもっている人や、最近はホームレスも屋内に囲われ見えなくされ、都合が悪いものほど裏側に追いやられる傾向が加速したのが、今の時代だと思う。
その見たくないから無いことにされた一例が草鹿で、『就職氷河期』が流行語にまでなりながら、大したケアもされないまま、歴史になってしまっている。その煽りを食った人が今も何百万人といる以上、誰かが言い続けなきゃいけないし、読者をあの手この手で愉しませつつ光を当てることも、小説はできるはずなので」
誰かは誰かの被害者であるという視点に立ち、それぞれの今を生きるしかない人々や時代を、葉真中氏は誰も断罪することなく描こうとする。それはおそらく書くこと自体がその存在を肯定し、可視化する、最も有効な手段の1つだからだ。
【プロフィール】
葉真中顕(はまなか・あき)/1976年東京都生まれ。東京学芸大学教育学部除籍。2013年『ロスト・ケア』で第16回日本ミステリー文学大賞新人賞を満場一致で受賞し作家デビュー。各ミステリーランキングの上位にも選ばれ、注目される。2019年『凍てつく太陽』で第21回大藪春彦賞と第72回日本推理作家協会賞、2022年『灼熱』で第7回渡辺淳一文学賞。著書は他に『絶叫』『政治的に正しい警察小説』『W県警の悲劇』『Blue』『ロング・アフタヌーン』等。映像化も多数。165cm、60kg、A型。
構成/橋本紀子 撮影/国府田利光
※週刊ポスト2024年4月12・19日号