今冬の北海道の猟期も3月末に終了した。昨年、人身被害が過去最悪となったことを受け、暖冬下で深刻なエサ不足に見舞われているクマによる被害の拡大が懸念されたが、表向きは平穏を維持している。それでも、野生動物たちもまた、食べずには生きていけない。自然の中で生き残るための戦いを続けている。
元NHKディレクターの黒田未来雄氏が猟師へ転身した経緯を明かすシリーズの第5回(第4回を読む)。単行本『獲る 食べる 生きる 狩猟と先住民から学ぶ“いのち”の巡り』より抜粋・再構成。
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よく、聞かれる。「なぜ、狩猟をするのか」と。「肉はスーパーで売っているのに、どうしてわざわざ自分で殺さねばならないのか」と。
実に的を射た問いだ。ハンターなら誰もが、一度は同じような指摘を受けた経験があるのではないか。
特に僕は、殺される側の獲物に感情移入するきらいがあり、僕自身の心の葛藤に関しても話すことを厭わない。
傍から見ている人が「動物を苦しませた挙句に自分も辛いのだったら、狩猟などしなければいいのに」と思うのは当然至極だろう。
しかしそもそも、肉は店で手軽に買えるという前提条件は、人類史から見ればごく最近に生まれた、特殊な状況だと言える。20万年以上、狩猟採集生活を送ってきた人間(ホモ・サピエンス)は、やがて野生動物の一部を飼い慣らして家畜とした。技術は向上し、最大限の効率を追い求めた工場式畜産を実現するに至った。
現在、地球上に暮らす全人類の総重量は3億トン、牛や豚や鶏などの農場で飼育している家畜は7億トンになるそうだ。それほど多くの家畜がいながらも、彼らを殆ど目撃することがないというのは、考えてみるととても奇妙だ。
家畜が生きる姿も、食べるために命を絶つ行為も、僕らの目の届かないところで行われるようになった。僕らが、自分が口にする動物を目にする時。それは既に生きてはおらず、綺麗に精肉され、発泡スチロールのトレーにパックされてしまっている。それが僕らの、新しい常識だ。
しかし本当にこの状況は、安定的に永続し得るのか。