1960~1980年代にかけて鐘紡(のちのカネボウ)の社長・会長を務め、その後、日本航空(JAL)の会長も務めた伊藤淳二氏が逝去していたことがわかった。伊藤氏は、山崎豊子氏の小説『沈まぬ太陽』で大手航空会社再生のために送り込まれた国見正之のモデルになったことでも知られるほか、城山三郎氏の『役員室午後三時』の主人公のモデルにもなった、昭和を代表する経営者の一人だ。
伊藤氏は1922年生まれ。1968年に武藤絲治(いとじ)氏から社長業を引き継ぎ、多角化経営路線である「ペンタゴン経営」を推し進めた。1985年には中曽根康弘内閣によるJALの民営化方針を受け、同社副会長を兼任。のちに会長職にも就き、労使協調と経営多角化路線を推進した。
関係者によると、同氏は1年以上前に亡くなっているという。その訃報はこれまでメディアでは報じられておらず、「表立った『お別れの会』なども実施されていない」(関係者)という。
「晩年は医療機関などの名誉職に就き、90歳を超えても紙媒体へ寄稿したり日本各地を旅行したり別荘を訪れたりするなど、アクティブな様子が聞こえていたのですが、ここ数年はその動静がほとんど知られていませんでした」(全国紙経済部記者)
JAL会長時には改革を実行するも労使対立が先鋭化するなどして批判を集め、約2年で同社を去った。2010年に経営破綻した同社を立て直した故・稲盛和夫氏と比較されることも少なくない。終身名誉会長職を含め30年以上もトップに君臨した鐘紡の経営では、繊維事業の赤字を補填するために行われたとされる粉飾決算問題に関して氏の責任を問う声もある。
昭和の経済界の大物は、静かにこの世を去った。